東京メタ哲学カフェ
東京メタ哲学カフェ代表の本間が、東京の哲学カフェを訪問しての報告です。
〈東京の哲学カフェを訪ねて㉞ 対話カフェ Tokyo~Yokohama 〉
横浜における対話の会の中で、すでに確固たる存在になっている「対話カフェ Tokyo~Yokohama」の「デスカフェ~死をめぐる対話~」に参加しました。
【当日の概要】
[名 称] 第51回対話カフェ Tokyo~Yokohama「デスカフェ~死をめぐる対話12~」
[日 時] 2019年8月11日(日)10:00-12:30
[会 場] アーキシップ ライブラリーアンドカフェ (関内駅徒歩5分)
[主 催] 対話カフェ Tokyo~Yokohama
[参加費] 500円(会場費)
[テーマ] 死に至る過程の選択
[進行役] 田中ハル
[参加者] 10名
【当日の対話の一部】
(印象に残った項目のみです)
◎まずは、死に方の種類を列挙した。
*老衰(自然死)
*病死
*事故死
*災害死
*脳死
*尊厳死
*安楽死
*自殺
*殉死
*切腹
*他殺
*戦死
*死刑
*腹上死
*心中
……
◎主に、死に至る過程を選択できるのか?コントロールできるのか?をめぐっての対話が展開した。
*人が死ぬことは必然である。ということは死についてコントロールできるのは、せいぜい死ぬ「時期」のことだけかもしれない。
*生きる権利とともに、近年、死ぬ権利もクローズアップされてきている。これは死ぬことそのものが困難になってきていることの反映ともいえる。
*我々は生きているのだろうか? それとも生かされているのだろうか?
*一人称の死、二人称の死、三人称の死というものがある。
*死は自分一人だけで完結したものといえるか? そこにどうしても他者との関係性が存在するのではないか?
【当会について】
2016年(平成28年)4月2日に、第1回目を開催し、大体月1回のペースで実施している。美術館見学などを取り入れたり、読書会も並行して実施している。このような多彩な展開が横浜の地で魅力を醸し出している。
今までの51回の開催のうち、最近は「デスカフェ~死をめぐる対話~」を中心にしており、デスカフェだけで12回を数えている。
このような実績が評価されたのだろう。今回の模様については、NHK番組「ニュース シブ5時」で8月29日(木)に放映されることになった。
(デスカフェ~死をめぐる対話~で取り上げてきたテーマ)
-
3日後に死ぬとわかったら何をしますか?
-
自殺と他の死の違いは何だろう…?
-
自殺は本当に選択なのか?
-
悪でない殺しはありうるのか? 死は害なのか、益なのか?
-
遺言はどういう場合に守るべきなのか・
-
自殺は本当に選択なのか?
-
死を忌み嫌うのは何故―? 死が“悲しい”のは何故―?
-
死と生の違いはあるのか?
-
自分が納得して死を迎えるにはどうしたらいいのか? 死はこわいもの? 死ぬのってこわい?
-
なぜ死を語るのは“重い”といわれるのか?
-
死後に、幸福がかわることはあるのか?
-
死に至る過程の選択
-
(次回9月21日 死に関する本を紹介)
【感想】
進行役の田中ハルさんは、ワークショップ的なプログラムも手慣れたものだし、対話の進行にも安定感がある。自らの意見を強く主張することはせずに、聞き役の方に重点を置くとともに、時に参加者に対して問いを投げかけることを重視している。パートナーのノリさんの控えめなサポートぶりも会の雰囲気を穏やかで優しいものにしている。
参加については、過去の参加者を優先的に受け付けている。これは新しい人が参加しにくい、閉鎖的になるというような心配が考えられるが、この会はこの方法が今のところは功を奏しているようである。テーマや問いに対する深まりが進み、いい意味での蓄積が行われているような印象を受けた。
全体的に「死」についての真摯な探求が行われているとともに、一方でユーモアや明るさも感じられ、いい雰囲気が作られている。参加者が口をそろえて、「このような場があるのはハルさんのおかげです!」という感謝の言葉を述べていた。
〈東京の哲学カフェを訪ねて㉝ アルコイリス 〉
埼玉県和光市にある「大人の秘密基地アルコイリス」で行われている哲学カフェです。
【当日の概要】
[名 称] 哲学カフェ@アルコイリス
[日 時] 2019年8月3日(土)15:00-17:00
[会 場] スペイン風バルと市民活動の店arcoiris【大人の秘密基地アルコイリス】
(埼玉県和光市)
[主 催] スペイン風バルと市民活動の店arcoiris【大人の秘密基地アルコイリス】
[参加費] 500円(飲み物付き)
[テーマ] ヒマな時間とどう付き合っていますか?
[進行役] 川上和宏 (池田崇)
[参加者] 14名
【当日の対話の一部】
(印象に残った項目のみです)
◎今回は、主催者側の池田崇さんのFacebook記事が当日の対話の様子を簡潔に、かつ面白く伝えているので、引用させていただきます。
今回のお題は「ヒマな時間とどうつきあってますか?」想像以上にヒマってやっかい、ヒマ自体が多種多様。ヒマは悪なのか?悪じゃないよと言われるが、ヒマに何かを埋めていくことに没頭するんだよね笑
ヒマがないないとバランス取れなくなるよー、もちろんわかっちゃいるけどやめられないのです、埋める作業笑
何か役割みたいなのがあって、そこから逃れられないけどやることないみたいな時、ヒマって言うような。仕事中とかにやること無いみたいな、何かの会合には参加してるけど面白くないよみたいな時とか、色々あるヒマ!
ヒマな時間を埋める事柄に何やら優先順位をつけているような、例えばお酒飲むより読書とかしろ的な。人にヒマだよね?って言うのはデスってるような。あの人ヒマだよねーって褒め言葉ではないよね、うーん確かに。この辺りって呪いでは?
この呪いは何でかかったの?興味深いお話が続きましたがタイムアップ。
印象深かったのは、ヒマから時間のお話、人生のお話、そして「死」のお話と展開していきました。
◎その他、私が印象に残ったこと
*ヒマは退屈な時、受け身的な時にはイヤなものに感じる。能動的な時にはイイものに感じる。
*ヒマは仕事、家事・育児など義務や役割から解放されている時に感じるものである。ということからすると、現役の時と定年後・子育て後の時とではヒマの捉え方が異なるのは当然ともいえる。
*ヒマは本来いいものでも悪いものでもない。ヒマな時の過ごし方についても、そもそも高級も低級もない。まずはこのヒマをニュートラルに捉え直してみたい。
【当会について】
スペイン風バルと市民活動の店arcoiris【大人の秘密基地アルコイリス】は開店してから6年目を迎えているという。この「哲学カフェ@アルコイリス」は3年前くらいに始まり、今回で25回目になるそうだ。
対話のテーマ、開催頻度などは変遷してきているが、和光の地に地に定着してきている。埼玉県には哲学カフェは少ないという印象があるが、池袋から近いということもあって、当会は参加者も多く、活発である。
HP: https://www.base-arco.com/哲学カフェ/
また、当会に近い存在として「こてつ 子どものための哲学対話」も有名である。こちらも子ども哲学の分野で多彩な活動を展開している。
FB: https://www.facebook.com/kotetsukodomonotamenotetugakutaiwa/
【感想】
当日は若干男性が多かったが(男性11名、女性3名)、男性も女性も、老いも若きも各世代が広く参加していたので、多彩な発言が聞けて楽しかった。多彩な人たちを受け入れる雰囲気がこの哲学カフェにはある証左だろう。
当日は、スペイン風バルと市民活動の店arcoiris【大人の秘密基地アルコイリス】には他のお客さんはいない。これにより贅沢な空間が作られる。対話に集中できるし、和やかな雰囲気も醸し出される。
池袋から想像より短時間(和光市まで東武東上線急行で12分)で、行けるので、東京在住の人たちにも勧められる哲学カフェである。
〈東京の哲学カフェを訪ねて㉜ Philo LABO 〉
学習院大学の研究室内で実施されているということに特色があると思います。
【当日の概要】
[名 称] Philo LABO 令和元年度・第4回 「友人」
[日 時] 2019年7月21日(日)10:00-12:00
[会 場] 学習院大学北2号館4階404号室 (JR山手線目白駅)
[主 催] Philo LABO
[参加費] 無料
[テーマ] 友人
[進行役] 小島和男 (本多)
[参加者] 14名
【当日の対話の一部】
(印象に残った項目のみです)
〈問い出し〉
*友人とは何か
*友人と知人との境目は?
*友情が終わる時はどんな時か?
*友だちが少ないのには悪いイメージがあるのはなぜか?
*よい友人を見つけるにはどうしたらいいか?
*友人は本当に必要なのか?
*友人と恋人との違いは?
*男の友情と女の友情の違いは?
*何が友だちだと確信させるのか?
*はじめての友人ってどのように作ったか?
*友だちに上下関係はあるか?
*友人と親友の違いは?
*友人の友人は友人?
*考えが違う人とも友だちになれるのか?
〈対話〉
□出された問い(テーマ)を一つに絞らないで、以下自由に対話する。
〇自分のプライベートを切り売りして付き合うということ。遠慮したり、気を使ったりすること。これは友情なのか?
〇一緒に私と遊んでくれる人が友人である。
〇SNSでダラダラと長く続く関係、腐れ縁的な関係、これらも友情か?
〇友だちの数、友だちと過ごした時間の長さなどの客観的数値だけでは友情を語れない。主観的な気持ちの面を抜きにすることはできない。
〇代替可能な関係の人とはどんな人か? 自分の意志で友情を育むことはできるのか? 友情・友人に執着しないということはどういうことか?
【当会について】
2015年10月26日発足で、年度ごとに大学院生が世話役を担ってくれている。小島和男先生がバックアップをしてくれている。年度ごとに開催頻度は異なっている。
今年度の世話役の本多さんは3代目で、今年度は月1回のペースで開催している。今年度から一般社会人にも参加を開放している。
今回は今年度第4回目に当たるが、今後の予定も紹介された。(変更する場合もあるとのこと)
・第5回 8月18日(日) 立正大学、高千穂大学とのコラボかも? 「才能」?
・第6回 9月22日(日) 「幸せ」
・第7回 10月6日(日) 「祝う」
・第8回 11月23日(土) 「仕事」
・第9回 12月22日(日) 「夢」
【感想】
学習院大学で実施されているので、外から見ての信頼度は高い。特に初めて参加する人にとってこれは大きい。
実際に参加してみると、対話の安定感、安心感があり、さらに和やかの雰囲気も感じられ、居心地がいい。ファシリテーションは当然ながら手堅いものがある。
今年度から一般社会人も参加でき、しかも参加費は無料である。これはとてもありがたい。哲学カフェ・哲学対話に少しでも関心のある人なら、一度は参加しない手はない。お勧めできる会である。
〈東京の哲学カフェを訪ねて㉛ Core Talk Cafe 〉
今回で第91回目にもなるCore Talk Café(テーマは「仮面」)に参加しました。私としては1年9カ月ぶりの参加ということになります。
【当日の概要】
[名 称] 第91回コアトークカフェ「仮面」
[日 時] 2019年6月2日(土)14:30-16:30
[会 場] スタジオ スクイント (東京都新宿区、四谷三丁目駅)
[主 催] Core Talk Cafe
[参加費] 1000円(ドリンク付き)
[テーマ] 仮面
[進行役] 梅田孝太 古賀裕也
[参加者] 25名くらい
【当日の対話の一部】
当日は2つのグループに分かれて対話を行った。
(私が参加したグループの対話のうち、印象に残った項目のみです)
●他人の前での言動や態度といった、心の「仮面」についての話が多かった。この意味での仮面の場合は、本来の自分や自分らしさを隠しているのではないか、ということで、悪く捉えられがちである。しかし、仮面は社会生活を行っていく上で欠かせないものでもある。また、自分にフィットした仮面を積極的に被って、社会活動を楽しんでいる人たちもいる。
●「泣く」とか「怒る」というのは仮面を脱いだ状態か? それは強制されて生じたものか、自然に湧き上がってきたものかで異なるであろう。いずれにせよ、自分をコントロールできない状態、周囲の人間を意識する余裕がない状態などの時には仮面を被っているとは言い難い。
●場面によって異なる仮面を被ることは自然な事でもある。場面によって異なる言動のスタイル・表現があっていいということである。しかし、当人の主義・主張が場面によって異なるのはいかがなものか。……実際は場面によって主義・主張を変えることはある。それはその本人がその主義・主張を本当に「正しい」と思っていないからとも言える。仮面を付けていようといまいと、正しいものは正しいし、正しくないものは正しくないという立場からはそう言える。
【当会について】
今回で91回目、最近は隔月で開催している。スタートしてから8年くらいになる。東日本大震災発生の頃に始まった。(これは他のカフェである「さろん」や「クルミドの朝もや」と同様である。)
現在は、上智大学系出身の若手研究者・実践家4名が運営者になっている。毎回多数の参加者があり、しばしば2つのグループに分かれる。
運営、ファシリテーションは手慣れたものであり、安定感がある。そして、何よりも毎回の対話の内容が楽しくかつ充実している。哲学好きな人や若い人、また女性の参加者も多い。論理的で、深掘りすることもあるが、スピード感(サクサク感)もある。
東京の哲学カフェを代表する会であり、私としても他の人に推薦できる哲学カフェである。
【感想】
1年9カ月ぶりに参加して、参加者の顔ぶれがかなり変わったという印象を受けた。哲学カフェに参加して間もないという若い方も多くいて新鮮な感じを持った。運営者4人は従来のままであり、これがこの会に大きな安定感を与えている。91回も続いているのは素晴らしいことである。
参加ルールは変わっていず、一貫している。「ひとそれぞれは無し」はコアトークカフェの特徴的なルールである。これは、大きく捉えれば、真理や普遍性の追究を目指していることの表明である。このルールによって哲学対話らしい雰囲気が生まれるという効果もある。
このルールは、私としては、以前は違和感があったが、最近は哲学対話としてはなかなかいいルールのように思っている。
私が参加したグループの進行役の梅田さんは経験も豊富なので、ファシリテーションに余裕が感じられる。参加していて安心感がある。何よりも梅田さん自身が対話を楽しんでいる感じが伝わってくるので、参加者も対話を楽しめる。
また、運営者の機転やコンビネーションの良さも感じた。対話の途中で、2つのグループを柔軟に配置換えすることなどもスムーズに行っていた。これも運営者同士の長年の関係があるからだろう。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて㉚ 読書と対話の会 〉
『14歳からの哲学』(池田晶子著、トランスビュー)の一節を輪読した後、対話を行っています。
【当日の概要】
[名 称] 読書と対話の会
[日 時] 2019年5月18日(日)10:00-13:00
[会 場] 練馬区・西武池袋線富士見台駅徒歩7分の民家
[主 催] 空―くう―
[参加費] 500円(飲み物、お菓子付き)
[テーマ] 品格と名誉
[進行役] ちえさん
[参加者] 8名
【当日の対話の一部】
(印象に残ったところのみです)
『14歳からの哲学』の18「品格と名誉」のところを参加者全員で2回輪読してから、自由に対話を行う。
●他人の内面はよく分からない。しかし、内面は外面に現れるともいう。よく見ると、その人の精神性が顔などに現れているのが分かるともいう。そうだとすると、それはとても怖いことだ。それでは哲学対話好きな人の顔とはどういう顔だろう。それほど上品な顔を想定できないというのはいかにも寂しいことだ。(笑)
●精神性を高めるというのは確かに尊いことのような気がする。しかし、本当に精神性を高めないといけないのか?精神性を高めるためだけの修行のようなものはあまりしたくない。
でも、何かを目指したい、何かを向上させたい、という気持ちは残っている。これはいったい何なのだろう?ベクトルが上に向いているような生き方はやはり気持ちがいいということなのか?
【当会について】
毎月1回(原則として第二土曜日)開催としている。少人数での対話を重視している。
過去に、『14歳からの哲学』の第Ⅰ部にあたる「14歳からの哲学[A]」のところを、1回につき1節だけ取り上げ、それを3巡繰り返したという歴史を持っている。その際のテーマは、考える、言葉、自分、死、体、心、他人などである。
最近になって、第Ⅱ部「14歳からの哲学[B]」に入った。取り上げてきたテーマは、家族、社会、規則、理想と現実、友情と愛情、恋愛と性、仕事と生活などである。
以上からすると、今までに30回くらい開催しているという計算になる。
【感想】
哲学関係の読書会ではあるが、ゆったり、まったりとした時間を過ごせるのがこの会の大きな魅力である。
それは主宰者ちえさんの考えやキャラクターが反映しているからである。民家の応接室で、お茶とお菓子を食べながらの対話というのもその雰囲気を醸し出している。
これが居心地の良さを作っていて、常連もいるのがうなずける。続けていってほしい会である。時々、癒しを求めて、特に準備もせずに、参加したい会である。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて㉙ 大人の対話in荻窪 〉
荻窪駅南口から徒歩3分のところにあるBarの2階という独特のロケーション中で、社会の問題について対話を行いました。
【当日の概要】
[名 称] 大人の対話in荻窪 話題は当日
[日 時] 2019年4月14日(日)14:00-17:00
[会 場] ZZYZX(ジージックス)(東京都杉並区 荻窪駅徒歩3分)
[主 催] 対話バーZzy
[参加費] 500円(飲み物、お菓子付き)
[テーマ] 当日に参加者で決める
[進行役] 古川 沖
[参加者] 8名(男性4名、女性4名)
【当日の対話の一部】
(印象に残った項目のみです)
〈問い出し〉
〇選挙
〇民主主義
〇女性天皇(皇位継承)
〇哲学と社会
〇地域でのつながり
〇迷惑
………
〈問い決め〉
「決定するとは?」
(この問いにするという明確な合意はなかったが、大体がこの問いをめぐって対話が進んでいった。)
〈対話〉
●決定すること、決定する方法について、合意形成がなされていず、揺らいでいるのが現代ではないか。
●多数決で決めることに対する信頼が薄れている。
●選挙の弱点を補完するものとして、各種の運動(デモなど)が行われているが、これも十全に機能しているわけではない。
●新しいテクノロジーが民意を正確に吸い上げてくれるだろうか?
●民衆の各自の意向の集計が「一般意思」と言えるか?
●第三の道、創造的な解決策はどのようにしたら生まれてくるのか?
●対話の意味はある。対話によって何が変わるかはわからないが、対話ができる世の中になっていくことを期待したい。
【当会について】
今回で3回目の開催ということだ。今後も毎月第二日曜日に実施したいということである。
定員は10名で、少人数での対話を想定している。今までは、年齢は若干高めだが、男女のバランスはいい。もちろん若い人の参加も歓迎している。
今後とも社会的な問題をテーマにしていきたいという意向を持っている。
【感想】
面白いロケーションで、最後の頃にはビールまで出るという、まったりとした雰囲気があった。それで居心地がよく、楽しい気分になった。
今回は、仮のテーマ「決定するとは?」に沿って簡単に記録を書いたが、実際は話のテーマ・内容はあっちへ行ったり、こっちへ行ったりと自由に飛び回った。それがこの会の特色とも言えそうだ。
社会問題をテーマに取り上げるのは難しい。参加者それぞれがテーマについて持っている知識の量が異なるので、対話に付いていけない人が生じる懸念がある。
今回はゆったりとしたテンポで対話が進んだり、話が細部に渡りそうな時には元に戻したりといった工夫で、落ちこぼれもなく、いい雰囲気を作っていた。
参加者が対話に参加できるように、話題のプラットフォーム作りは常に心掛ける必要がある。今後も社会的な問題をテーマに取り上げる時には配慮する点であろう。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて㉘ たちかわ哲学カフェ 〉
最近、中央線沿線で哲学カフェが増えている感がしていたが、今回は立川で行われている哲学カフェを訪問した。
【当日の概要】
[名 称] たちかわ哲学カフェ
[日 時] 2019年3月16日(日)13:30-15:30
[会 場] たちかわーく(立川駅南口徒歩10分)
[主 催] たちかわ哲学カフェ
[参加費] 500円(飲物代100円)
[テーマ] 当日の参加者で決める
[進行役] さとうみゆき
[参加者] 8名(男性2名、女性6名)
【当日の対話の一部】
参加者から問いを出してもらった。
〇生命に関わる治療方針について全ての選択肢を提示して欲しいですか?
〇人に寄り添うとはどういうことでしょうか?
〇男女間では友だちになれないのか?
〇ヒマはなぜ辛いのか?
〇幸せとは何ですか?
〇なんで待てるのか? なんで待てないのか?
この中から、多数決により、今回は「幸せとは何ですか?」というテーマで対話することとなった。
【当会について】
平成30年の7月に第1回目を実施し、その後原則として毎月第3土曜日の午後に2時間開催している。今回の平成31年3月で7回目になるだろう。
主催者であり、進行役である、さとうさんは他の哲学カフェに参加して、自らも開催したくなったそうである。立川では哲学カフェがなかったということも一因である。
前もってテーマを決めて開催したり、今回のように参加者によってテーマを決めたりすることもある。
【感想】
主催者・進行役が女性であり、参加者も女性が多いということからか、優しく穏やかな雰囲気がある哲学カフェである。参加人数もそれほど多くなく、気軽に発言できるのがいい。
今回この2時間の哲学カフェもよかったのだが、終了後、主催者・進行役のさとうさんと、参加されていたさとうさんのお姉さんと、ガストで2時間ほど、哲学カフェについていろいろ話ができたのが楽しかった。
その話の中で、哲学対話における「問い」の話が印象に残った。
哲学カフェにおいて、問うことはとても重要なことである。問いを持ち続けることが、哲学カフェに哲学という冠をつける由縁と言ってもいいと私は思っている。主催者側に問い続ける意欲があるなら、どんな形式であっても、哲学カフェと名乗って、開催し続ければいい。梶谷真司さんが言うように、各回の開催状況の良し悪しなどいちいち気にせず、まさに反省など必要なく、また次なる問いを引っ提げて、次回を実施すればいい。
哲学対話を淡々と実施し続けている人には、上のような気持ちを持って実践している人がいる。何よりも自らの問いや疑問を基本に置いているので、そのやり方や形式にはあまりこだわらない。それでいいと思う。
一方で、問いや疑問を持つのがしんどくなってきたら、哲学という冠を外して、対話の会とかおしゃべりの会とかという名称にすればいい。それはそれで楽しいし、その選択は主催者側の自由である。
私は、たちかわ哲学カフェの方たちが、自らの素朴な問いや疑問を持ち続けてほしいという願いを持ちながら、2時間近く話ができて、とてもうれしく思った。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて㉗ 対話の杜 〉
栃木県足利市で実施されていることにとても意義を感じます。私(本間)が後半の進行役を務めることもあって、東京から訪ねました。
【当日の概要】
[名 称] 第11回対話の杜「哲学カフェ『ハゲワシと少女』」
[日 時] 2018年12月2日(日)10:00-12:40
[会 場] 日蓮宗本経寺(栃木県足利市西宮町)
[主 催] ケアと生涯学習をアートで結ぶ「リクリエイティブアート」
[参加費] 500円
[テーマ] 写真『ハゲワシと少女』(ケビン・カーター撮影、ピューリッツア賞受賞)
[進行役] 岡村正敏 本間正己
[参加者] 13名(男性8名、女性5名)
【当日の対話の一部】
私が進行役だったため、うまく記録が取れなかったので、ここでは省略する。(「対話の杜」のフェイスブックなどをご覧ください。)
https://www.facebook.com/events/282274709076938/
【当会について】
主催者の岡村正敏さんは足利市において、アート関係の活動など、幅広く活躍されている。(ケアと生涯学習をアートで結ぶ「リクリエイティブアート」)
その一つとして、哲学カフェ形式の「対話の杜」を主宰し、今回で11回目を迎えた。前半は岡村さんが進行役になり、後半は外部から講師を招いて進行役になってもらうというやり方もここ数回行っている。
岡村さん個人はしばしば東京に来て、大学で学んだり、東京メタ哲学カフェで進行役を行ったり、いくつかの哲学カフェに参加したりなど、積極的に研鑽を積んでいる。
【感想】
岡村さんも、参加者も、その真摯な態度に感心させられる。それゆえに哲学対話の中身も静かに深まっていく感がある。
これらの場を足利で作ることのご苦労は察せられる。そもそも人集めに難儀する。人口が少ないし、交通の便も悪い。PRが行き届いてないというもどかしさを感ずるであろう。
これに比べると、東京で哲学カフェを実施することはいかにも楽である。東京の主催者もそれなりに苦労しているが、足利よりかなり有利な状況であることをあまり自覚していない。
これらのことは「地方」の人たちが共通に抱える悩みを浮かび上がらせる。これに対して、何か具体的な対応策を示せるわけではないのだが……。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて㉖ さろん 〉
8周年記念特別会に参加しました。昨年の、さろん7周年記念例会以来の1年ぶりの参加です。
【当日の概要】
[名 称] 8周年記念特別会 第97回さろん哲学
[日 時] 2018年9月15日(土)15:00-17:00
[会 場] BOOK LAB TOKYO(東京都渋谷区 渋谷駅徒歩5分)
[主 催] さろん
[参加費] 1500円ワンドリンク付き
[テーマ] なぜなつかしいのか?
[進行役] 堀越
[参加者] 15名(男性9名、女性6名)
【当日の対話の一部】
(印象に残った項目のみです)
*懐かしさの感情は何かの役に立つか? むしろ過去から冷静に学ぶことを妨げるマイナスの感情ではないか。
*懐かしさは、ある程度の時間間隔(インターバル)があり、一旦忘れていたということがあり、もう同じ体験はできないなどといったことから生じる。
*懐かしさにより、その当時の感情の流れの体験がよみがえる。
*懐かしさは、当時を美化したがるいかがわしさや退行・逃避の傾向を伴うこともある。
*亡くなった人への懐かしさは、癒しをもたらしてくれる。
*若い頃の自らの頑張りを思い出させてくれる。(これは懐かしさを契機として、過去から学んだケースかもしれない。)
*同窓会は懐かしさの場であるが、未来への志向がない場でもある。
【当会について】
まずは8年も続いていることに対して、お祝いとともに敬意を表したい。
東京において、代表する哲学カフェと言っていい。哲学研究者の主催ではない。集団のスタッフ(現在6名)による、多彩なプログラム(文学の読書会などを含む)が特色である。
人気のある哲学カフェであり、参加者は常に15名前後あり、活気がある。現在も、哲学カフェのあり方や方法を模索する真摯な態度を持っている。
HPやFBが充実しているので、これらを見れば活動内容や雰囲気も伝わってくる。
http://salon-public.com/tetsugaku/
https://www.facebook.com/salontetsugaku
【感想】
楽しかった。私のわがままな発言も受け止めてくれる力量がこの会にはある。あまり遠慮をしないで済むというのはありがたいことである。
このような会なので、哲学カフェ初心者にも安心して推薦できる哲学カフェである。年内に100回目を迎えるということはとても喜ばしいことである。
当会は東京の哲学カフェを語る上で、欠かせない重要な会であるが、今回はこの「さろん」から影響を受けて生まれた哲学カフェを紹介しよう。
さろんラボという位置づけで、さろんと密接な関係がある哲学カフェとしては、「あたまの中を散歩するてつがくカフェ」と「哲学カフェ Ante-table/アンティテーブル」がある。また、さろんに触発されて生まれた哲学カフェとしては、「人生カフェ」、「エスプリ」等々がある。
私(本間)が主宰する「人生カフェ」も、5年以上前に私がさろんに参加し、その後1年くらい経過した後に発足したものである。さろんに感謝するとともに、さろんの影響力を改めて感じるものである。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて㉕ onecafe 学生哲学カフェ 〉
学生中心の哲学カフェであるが、社会人の参加も可ということなので、久しぶりに参加しました。
【当日の概要】
[名 称] 第192回哲学カフェ
[主 催] onecafe 学生哲学カフェ
[日 時] 2018年9月13日(木)19:00-21:00
[会 場] らんぶる(東京都新宿区 新宿駅徒歩3分)
[参加費] 各自の飲食代のみ
[テーマ] 言葉で表せないもの、伝えられないもの
[進行役] よしかわ
[参加者] 12名(男性11名、女性1名)
【当日の対話の一部】
◎当日は1グループ4人、3つのグループに分かれて、対話をした。私の入ったグループの対話のうち、印象に残ったもののみ下に記録する。
*言葉で表せないもの、伝えられないものが広大に存在する。物そのもの、自然や身体などを言葉では言い尽くせない。自分の感覚や感情も表現しきれない。
*それは語彙力の不足、表現力の乏しさなどがからくるのか?
*そうではなくて、それはそもそも言葉の限界からくるものではないか。
*言葉の持つ意味が人の間で伝わり、理解され、共有化されること自体がすごいことである。
*人々は主に言語の世界で共有化を図っており、繋がっている。
*言葉では表しにくく、言葉の背景にあって、影響力のあるものとして、その人の「ノリ」やその場の「ノリ」というものがある。
*ノリとは、言葉の前提であり、それは歴史の蓄積であり、文脈であり、その場の状況であり、その人のブランドであり、その人へのフォロワーの状態であり、その他もろもろである。
【当会について】
2014年11月6日設立で、今回で192回目ということは、大体週1回くらいのペースで実施していることになる。
インカレの会であり、東京圏を中心に、多彩な国公私立大学の学生が参加している。社会人や高校生の参加も可であり、実際に少数ながら参加している。毎回10数人の参加があり、継続性のある活動になっている。
新宿駅南口に集合し、どこかのカフェ・喫茶店に入り、少人数(4~6人くらい)のグループに分かれて対話をするというのが標準的な流れである。
取り上げてきたテーマは、「哲学的なテーマ」(例:目に見えないものを信じるとは?)、「ふとした疑問から出たテーマ」(例:ムダの必要性)、「生き方に関するテーマ」(例:自己肯定感を感じるとき)、「美的なテーマ」(例:芸術に、言葉)など多様である。また、ブックカフェ(例:『ソクラテスの弁明』)、シネマ哲学カフェ(例:『ムーンライト』)なども実施している。
【感想】
私(本間)が主宰している「人生カフェ」(中高年の人生を考える哲学カフェ)とは、世代が異なるにもかかわらず、似たところがあると思った。
まずは、ともに開催回数が多いことである。(これは時間・ヒマがあるから? 集まりたいから?) また、やり方がシンプルである。素朴な対話が中心であり、凝ったワークショップなどは行わない。(気軽に参加しやすい? 開催について負担が少ない?) また、対話の素材として取り上げやすい、本や映画を扱う回もある。
一方で、世代間の差も感じた。例えば、中高年はおしゃべり好きである。(それが、話が長くなったり、しつこくなったりという欠点も生む。) また、中高年と比較すると、学生の方が自分の能力、資質、スキルなどの向上に関心が向いているように思われた。
4~6人くらいの少人数の対話を基本にしている。少人数の対話は、話しやすいし、参加者がたくさん話せるので、メリットも大きい。反面、せっかく10数人集まっているので、多様な考えを聞きたいという気持ちは残る。会場の関係からしても、それは難しそうだとは分かるが……。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて㉔ 阿佐谷ワークショップ・哲学的カフェ 〉
主に中高年の人が参加しているという「阿佐谷ワークショップ・哲学的カフェ」に初めて参加してきました。私(本間)が主宰している「人生カフェ」(中高年の人生を考える哲学カフェ)は主に中高年が参加しているわけですが、同様なタイプの人(中高年)が参加している他の哲学カフェを訪ねるのは初めてでした。
【当日の概要】
[名 称] 第8回哲学的カフェ
[主 催] NPO法人 阿佐谷ワークショップ
[日 時] 2018年8月29日(水)18:30-20:30
[会 場] 阿佐谷ワークショップ(東京都杉並区 阿佐谷駅徒歩3分)
[参加費] 1000円(食べ物・飲み物付き)
[テーマ] 自己実現って?
[進行役] 清水英之
[参加者] 5名(男性5名)
【当日の対話の一部】
(印象に残ったもののみです)
*「自己実現」とは、マズローの欲求5段階説の5番目(最上位)の段階である。
*自己実現とは、その人の潜在的可能性(能力、欲望など)が実現されていく過程のことである。
*マズローの欲求5段階説に対する疑問
①マズローの欲求5段階説は上昇志向的である。「下降」について、「死」について、「無」についてなどがあまり視野に入っていない。
②マズローの欲求5段階説はヒエラルキーを作り、優劣的、選別的な傾向がある。もっと並列的、多元的な価値があっていい。また、実際には、人の欲求はまだら状に実現しているのではないか。
③マズローの欲求5段階説は、自分のことを中心に考えている。自己実現に対して、他者実現というものはどうなっているのか。自他の関係はとても大切なことと思われる。
*「自分との対話」や「自己充足」ということが重要である。
*「自我」は意識的なところ、「自己」は無意識的なところも含む。自己は自我を含みつつ、その人の潜在的なものにも着目する。
【当会について】
「哲学的カフェ」は、NPO法人・阿佐谷ワークショップの一つのイベントとして位置づけられている。
(NPO法人・阿佐谷ワークショップ HP https://aws2154daiwa.jimdo.com/ )
平成29年10月25日に第1回目を実施し、その後原則として毎月最終水曜日夜間に開催している。テーマとしては「自由と平等」「ネコ」「老い」「幸せ」「家族」「いい人」「旅」を取り上げてきた。
「哲学カフェ」ではなく、「哲学的カフェ」なのは、出会いとか発見とかが目的で、手段として方法論として哲学的だから、と説明している。
【感想】
NPO法人の中の活動として位置づけているので安定感がある。会場も阿佐谷駅から3分とアクセスがいい阿佐谷ワークショップの拠点を確保できているのは素晴らしい。
スタッフ陣の各個性が発揮されているとともに、コンビネーションがいい。進行役の清水さんの学識は高い。時折の説明も的確である。当哲学的カフェの担当である沖さんは、哲学対話好きの静かなる情熱が伝わってくる。佐竹さんは当NPOの理事長として、当哲学的カフェを暖かく支えている。
この会が中高年らしいなぁと思ったのは前半の1時間くらいが終わった後の後半である。お酒と手作りのたくさんのおつまみが振る舞われ、ちょっとした宴会風に変化した! これには私は驚くとともに、とても楽しかった。
この雰囲気はどちらかというと中高年男性向きである。女性の参加者を増やしたいなら(本当に増やしたいなら?)それなりのさらなる工夫が必要である(笑)
〈 東京の哲学カフェを訪ねて㉓ 胡桃堂の朝モヤ 〉
クルミドの朝モヤには何度も参加していますが、この胡桃堂の朝モヤには初めて参加しました。
【当日の概要】
[名 称] 胡桃堂の朝モヤ(第29回)
[主 催] 胡桃堂喫茶店
[日 時] 2018年8月11日(土)9:00-11:00
[会 場] 胡桃堂喫茶店(東京都国分寺市 国分寺駅徒歩5分)
[参加費] 500円(飲み物付き)
[テーマ] 当日の参加者で決める
[進行役] 坂本
[参加者] 9名(男性8名、女性1名)
【当日の対話の一部】
(印象に残ったもののみです)
まずは、参加者から今日対話をしたいテーマを募る。
① 生まれる前にあなたは何をしていましたか?
② テレビと比べて映画はどういいのか?
③ 戦争映画は好きですか?
④ あなたにとって、甲子園野球とは何ですか?
⑤ 誰かに影響を与えることについてどう思いますか?
⑥ もし5兆円もらったら、あなたはどうしますか?
⑦ 話を聞くつもりがない人には我慢するしかないか?
⑧ なぜこの苦しみをよりによってこの私が受けなければならないのか?
⑨ 失敗を教訓にできるのか?
⑩ 時の流れは、らせん状に進むのか?
⑪ 自分のことをしゃべりたい人としゃべりたくない人とがいるのはなぜか?
⑫ プロがやるのはすごいものですか?
⑬ あなたは学校で学んできたことが身についていますか?
⑭ 学ぶことによって、人は夢を見るようになるのか?
この後の話し合いによって、今日のテーマは⑫の「プロがやるのはすごいものですか?」に決まった。
*プロとプロフェッショナルは現在の日本語では異なるニュアンスを持っている。
*プロとはそれによってお金(収益)を得ていることに注目している。プロフェッショナルとはそれが提供するものの技術、能力などのパフォーマンスの質の高さに注目した用語である。
*プロには当然一定の水準(質)が保たれていると思われているから、レベルが低い場合には金を返せと言いたくなる。
*収益と質の高さは必ずしも比例しない。プロと言われる人でも能力が低い場合がある。逆にアマであっても、高い技術力を提供できたり、大きな利益や感動を与えることができる。
*プロは社会において分業が発達していくことによって成立していった。貨幣経済が発達していったことも、分化した技術・能力をお金を通して売り買いできるということから、プロを発展させた。
【当会について】
クルミドの朝モヤは、日曜の午前9時から11時まで、西国分寺のカフェ「クルミドコーヒー」で、大体月2~3回くらいのペースで実施している。こちらはもう8年間くらいになり、150回を超えている。(この「東京の哲学カフェを訪ねて」の第⑤回目を参照)
胡桃堂の朝モヤはクルミドの朝モヤの姉妹版である。胡桃堂喫茶店は2017年3月に開店し、胡桃堂の朝モヤは土曜日の朝9時から11時まで、月2回くらいのペースで開催し、今回で29回目を迎えた。
やり方はほぼクルミドと同じであり、その特色としては、あらかじめ対話のテーマを決めていないということである。前半の1時間くらいは参加者から取り上げてほしいテーマ(問いの形)を出してもらう。その中から一つのテーマに絞って、後半1時間くらいはそのテーマについて対話を行う。この方式が確立されているといっていい。
【感想】
胡桃堂喫茶店はとても雰囲気のいい、人にお勧めできるカフェである。その開店前の土曜日の朝に行われる胡桃堂の朝モヤは、会場としてとても居心地がいい。
やり方はクルミドの朝モヤと同様で、ファシリテーターも参加者も慣れたものであり、その安定感が対話を楽しくさせる。
ファシリテーターの坂本さんは、クルミドの朝モヤでは参加者だったが、今では胡桃堂の朝モヤの方で進行役として、対話の場をしっかりと支えてくれている。これは会の発展を見ている思いであり、うれしいことである。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて㉒ 千葉中央哲学カフェ 〉
千葉中央で大体月1回のペースで実施されている哲学カフェに初めて参加しました。
【当日の概要】
[名 称] 第18回千葉中央哲学カフェ「こころの葛藤」
[主 催] 千葉中央哲学カフェ
[日 時] 2018年7月27日(金)19:00-21:00
[会 場] まる空間(キッチン付きレンタルスペース)
(京成千葉線千葉中央駅徒歩6分)
[参加費] 1,000円(飲み物、お菓子含む)
[テーマ] こころの葛藤
[進行役] 芦原正勉
[参加者] 9名(男性7名、女性2名)
【内容(一部)】
当日は、各自の葛藤についての経験を語るところから始まり、大まかには次のような問いの展開があった。
「葛藤ってなんで起こる?」⇒「葛藤の効用は?」⇒「「死にたい」は思いとなるか?」
私としては、最後の方の対話の内容が印象深かった。
*葛藤はいくつかある選択肢の中から何を選ぶのかの迷いから生じる。
*その選択肢が一つしかない、あるいはほとんどないという場合がある。ALSの人の場合、強制収容所に入れられた人の場合など。
*なぜよりによって、この私がこのような目にあうのかという疑問とともに、その苦難を私に与えられたものとして、まともに受け止めようとすることが起こる。
*そこには葛藤とは異なる心の世界がある。
*大きな選択をすでにしてきた、もうあまり選択肢はない、死が近くになってきているなど、といった高齢者に葛藤が少ないのは自然なことか?
【当会について】
今回で18回目、原則として、毎月最終の金曜日の夜間に開催しているということである。
大体10名くらいの参加があり、最近はリピーターも多いらしい。
【感想】
とにかく楽しく、雰囲気のいい会である。
進行役の芦原さんは対話のファシリテーターとしてのスキルを身に付けているとともに、優しさと穏やかさが溢れ出ているので、会のムードがよくなる。
芦原さんのグラフィクはポイントをしっかりと捉えていて、分かりやすいので、参加者の考えを深めるのに大いに役立っている。
参加者も常連が増えてきているせいか、そのあたりはよく分かっていて、会の盛り上がりと深まりが全体的に気持ちよく進行していく。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて㉑ 勉強カフェ対話部 〉
すがや対話工房代表の菅谷宏一さんが2012年12月から実施している哲学カフェで、今回で41回目を迎えます。この歴史と実績のある哲学カフェに初めて参加しました。
【当日の概要】
[名 称] てつがくカフェ「深い話」(第41回勉強カフェ対話部)
[主 催] 勉強カフェ対話部
[日 時] 2018年5月19日(土)15:00-17:00
[会 場] 勉強カフェ 秋葉原スタジオ イベントルーム
(地下鉄銀座線・末広町駅徒歩2分)
[参加費] 1,500円(一般)(お菓子代、会場代等)
[テーマ] 深い話
[進行役] 菅谷宏一(こうちゃん)
[参加者] 8名(男性6名、女性2名)
【内容(一部)】
(印象に残ったことのみを列挙する。)
〈今日のカフェへの期待〉
*「深い話」について人に説明できるようになりたい
*てつがくカフェ どんな事をし、どう考えるか興味ありマス
*哲学カフェの雰囲気って、どんな感じ?
*他の人の思考を知りたい
*深い話をできるようになりたいので、コツのようなものがつかめれば良い
〈「深い話」とワタシ〉
*「深いね!」は思考停止?
*「深い話」 定義できるの? 主観の違い?
*深い話をするタイミング
*感動する話のことか?
〈ダイアログ〉
*二項対立的に「深い話」を考えていく。
・長い話か、短い話か
・複雑か、単純か
・多面的か、一面的か
・抽象か、具体か
・論理的か、感情的か
・過程か、結果か
・初めてか、何度もか
・人間関係が強いか、弱いか
*興味・関心の度合いによって深さの意味合いが変わっていく。
*本質的なもの、人々に共通なものが深い気がする。でも、「本質」とか、「共通」って何?
*「深める」のイメージ
・ヴェールをはいでいく。(見えなかったものが見えてくる)
・掘っていく
・地下水を掘り当てる
・根っこを探す
・潜る
〈改めて「深い話」とワタシ〉
*根っこのつながりを感じること
*深い話とは 文章? 表現? できごと? 希望?
*深いねーという言葉の裏側はそれぞれ
*(相手との)関係を確認しながら深める(もぐる)
*下に掘るだけでなく、上に引き上げることも深さを作る
【当会について】
勉強カフェの対話部の活動として位置づけられている。2012年12月12日に第1回目が実施され、田町などの勉強カフェの場で行われてきた。今回(第41回目)は秋葉原の勉強カフェで初めて開催した。
毎回、定員が8名くらいの少人数で、充実した対話の場を提供している。
主催者の菅谷宏一さんは、すがや対話工房代表・ミーティング&ワークショップデザイナーであり、多彩な活動を展開している。
https://www.facebook.com/SugayaDialogueWorkshop/
勉強カフェは、会場の提供だけではなく、様々なイベントも企画している。
【感想】
主催者の菅谷さんは対話の専門家であり、とてもよく準備していて、進行も丹念なので、当哲学カフェは安定感があり、安心して参加できる。
掲示された模造紙には今日の流れが書いてある。各自が付箋に自分の考えを書いて、その模造紙に貼っていくことによって、他人の考えもよく分かる。テーブルには無地の模造紙が置かれ、各自が自分のメモも書けるようになっている。
そして、会の流れは、ごあいさつ、チェックイン(知り合う時間)、ダイアログ(聞き話し考える時間)、リフレクション(振り返る時間)、チェックアウト(分かち合う時間)と、滑らかに進んでいく。
このように形式が整っており、一定の水準が保たれていると、対話の内容の方も一定の水準が保障される。哲学カフェにとって、これは重要なことである。
まさに当会は、参加することにおいて、「損はない」、「間違いがない」対話の会と言える。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて⑳ ヨコハマタイワ 〉
今回10回目を迎えたヨコハマタイワ、私は今回で3回目の参加です。サイト「哲学カフェ・哲学対話ガイド」の運営者いちろうさんが主宰し、ファシリテーターを担う哲学カフェです。(もちろん横浜は東京圏という認識です。)
【当日の概要】
[名 称] ヨコハマタイワ10
[主 催] ヨコハマタイワ
[日 時] 2018年4月21日(土)13:30-16:00
[会 場] 反町駅前 ふれあいサロン
(横浜市 東急東横線・反町駅徒歩30秒)
[参加費] 無料
[テーマ] 見えないものをどうして信じられるか?
[進行役] いちろう
[参加者] 14名(男性8名、女性6名)
【内容(一部)】
(印象に残ったことのみを列挙する。)
*見えないものとして、例えば「空気」や「優しさ」などがある。
*見えないものとして……、「言葉の意味」「過去・未来」「神」「お金の価値」……。
*信じることが行動の根拠や規範となる。
*行動には信じることが根拠ではなく、反射的なもの、欲求充足的なものもある。
*私がどうして信じているか~多くの人が信じているから、権威のある人が信じているから、私がこれまでに構築してきた信念体系に整合しているから……。
*動物には信じるということはできるのだろうか。信じるは人間の大脳皮質の問題か。
*身体的なもの、感覚的なもの(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)は低次なもので、概念的、思弁的なものが高次なものと捉える傾向がある。これは困難なものは高次と見られがちということか。
*身体的なもの、感覚的なものの意義を再認識しよう。これらから信じるが作られる。
*目に見えないフィクション(例えば、言葉、法律、お金など)を作ることによって、人間は大きな共同体を作り出してきたのではないか。
【当会について】
2016年4月10日に第1回目を開催し、2年間で今回10回目を迎えた。いちろうさんが花粉症の時期は実施しないといった事情もあり、不定期に開催してきた。
いちろうさんは10名くらいまでの参加人数を理想としているが、今回の14名というように徐々に人気が高まり、最近は盛況である。横浜の哲学カフェとして定着してきている感がある。
いちろうさんが「哲学カフェ・哲学対話ガイド」(https://www.135.jp)の「中の人」(主宰者・運営者)だということが何よりの特色である。「哲学カフェ・哲学対話ガイド」は、(全国の)哲学カフェ一覧、関東の哲学カフェの開催予定、哲学カフェ参加の流れ、哲学カフェの仲間?たち、おすすめの本、哲学カフェ参加レポなど、多彩かつ充実した内容である。
【感想】
老若男女が集い、活発な対話が行われる。これは楽しい哲学対話の典型である。
いちろうさんが哲学対話というものをよく知っている上で、軽妙なファシリテートをするので、さらに楽しくなる。いちろうさんは哲学を重くとらえない。軽々と飛び回ることをよしとする姿勢を持っている。それが参加者に伝わるから、参加者も気軽な気持ちで対話において踊ることができる。
いちろうさん、参加者がどの程度意識しているかどうかは分からないが、サイト「哲学カフェ・哲学対話ガイド」の意義は大きい。日本において、この分野のガイド役としては最も優れたサイトだと私は思う。
まずはこのサイトによる周知度・PR度はかなり高いと思う。「哲学カフェ」で検索すれば、このサイトが必ず上位に来るのであり、知りたい情報が分かりやすく提示されているので、使いやすい。アクセス数はとても多いはずである。
それと、このサイトを運営しているということで、いちろうさんやヨコハマタイワの信頼度は高まる。このサイトを見る人は、広く、深く哲学カフェ・哲学対話を知っているだろうという好意的な憶測を持ってくれるだろう。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて⑲ ソクラテス・サンバ・カフェ 〉
過去に5,6回参加したことがありますが、1年半ぶりくらいに参加しました。
【当日の概要】
[名 称] ソクラテス・サンバ・カフェ 筑波大学哲学カフェ
[主 催] 筑波大学人文社会系哲学思想専攻
[日 時] 2018年3月25日(日)14:00-17:00
[会 場] 筑波大学東京キャンパス116教室
(茗荷谷駅から徒歩1分)
[参加費] 無料
[テーマ] 事前のテーマ設定なし
(あなたが考えていること、悩んでいることを、
あなた自身の日常の「ふつうの言葉」で
話してください。
一緒に考えていきましょう。)
[進行役] さっちゃん(五十嵐沙千子・筑波大学)
[参加者] 16名(男性13名、女性3名)
【内容(一部)】
(印象に残ったセッションや発言のみを列挙する。)
〇チェックイン(各自以下のようなことを話す)
・今日、自分のことを呼んでほしい名前
・今の気持ち
・最近、考えていることや話したいこと
〇3~4人のグループに分かれて、今日話したいことなどを出し合う。
*そもそも世間って本当にあるのか?
*メディアは正しいことを伝えているのか?(正しいって何だろう?)
*コミュニティって何だろう?(共同体って何だろう?)
*「仕事」と「結婚」はしなければならないのだろうか?
*自由であることは可能なのか?(その人がそのままであることは可能なのか?)
〇その後、いくつかの論点ごとに、賛成・反対の立場の人両方が含まれるように小グループ(3~4人)を作って、対話を重ねていく。(以下は出された論点である。)
*あなたはコミュニティの内から生じたものか、外側から来たものか
*ひとつにしばるものか、バラバラだけれど建設的なものか
*ママ友は対話をしているといえるか、いないか
〇終わり近くで、進行役からまとめ的な話がある。
*儀礼的会話⇒( )⇒反省的対話⇒(受容)⇒生成的対話
上の( )に入るものは何か? それは「対立」である。
*対立を恐れてはいけない。対立は意義のあるものである。
〇チェックアウト(各自以下のようなことを話す)
・今日の感想
・最後に言っておきたいこと
【当会について】
筑波大学の先生(4人が中心、今回はさっちゃんのみが参加)が行っている。東京では2か月に1回くらいの割合で実施している。つくばでの実施の方が基本形らしい。
ホームページのアーカイブを見ると、2014年2月まで遡れるが、それ以前もある程度のものを実施していたという印象を持っている。
ホームページを開くと、最初に目に飛び込んでくるのは、「すべてのソクラテスたちへ 誰のものでもない広場へ」という言葉であり、ここにこの会の思いが込められている。最近は、事前のテーマ設定なしで、「あなたが考えていること、悩んでいることを、あなた自身の日常の「ふつうの言葉」で話してください。」ということから、スタートすることが多いらしい。
毎回15名以上の参加者があり、人気の哲学カフェである。
(ホームページのリンク先)
tetsugaku-cafe.com/
【感想】
進行役のさっちゃんのグループワーク的な進め方は見事である。さっちゃんはプロといえばプロであるから、ここで褒めてもあまり意味がないような気もするが、とても楽しい進行をしている。
少人数での対話を基本にしている。(これはアクティブ・ラーニングの基本形でもあるだろう。) 参加者が話しやすいし、参加意識も高まる。親密度も増し、自らの本音も出しやすい。
これは自らの課題や悩みを語りたい人に向いており、実際そのような気持ちを持っている若者が比較的多い印象も持った。
テーマに対する対話の内容の深まりで気づきが生まれるというより、グループワーク的な「方法」の方で気づきが生まれるといった感じでもある。
グループワークの方法の中に、隠された意図もある。今回でいえば、「対立」がキーワードであり、対立を経験させるプログラムが続く。進行役が論点を整理して提示し、その論点に対する賛否の立場を参加者各人があらかじめ明らかにして、少人数グループで対話する。これにより対立点を冷静に対話することの良さを体験できるというわけである。このあたりが最後の方で説明される(種明かしされる)ことによる気づきは強烈な印象を残す。
私はこの種の方法を一つの学習方法として高く評価するものである。技法的にも面白いと感じる。しかしながら、これが哲学カフェの哲学らしきものになるのかについては若干疑問が残る。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて⑱ あたまの中を散歩するてつがくカフェ 〉
過去に何度か参加したことがありますが、久しぶりに参加しました。
【当日の概要】
[名 称] あたまの中を散歩するてつがくカフェ(第31回)
[主 催] あたまの中を散歩するてつがくカフェ
[日 時] 2018年3月18日(日)10:00-12:00
[会 場] カフェラヴォワ かどやホテル
(新宿駅西口から徒歩3分)
[参加費] 無料(会場での飲食代のみ)
[テーマ] 法律で禁止されたらやめられますか?
[進行役] くらち
[参加者] 8名(男性3名、女性5名)
【内容(一部)】
(印象に残った発言のみを列挙する。)
*誰もがマイ・ルールなるものを持っている。それと法律は異なる。法律は外に表出され(明文化され)、誰もが見られるものである。
*内圧的なもの(マイ・ルールのようなもの)と外圧的なもの(法律のようなもの)に区分できる。外圧的なものとして考えると、法律だけでなく、校則とか、道徳、慣習などもこれに含まれる。そして、内圧と外圧のズレに違和感を覚えたり、苦しんだりする。
*法律に基づいて裁判官に裁かれる。その裁判官がAIだったらどうだろうか。情が入らず、正確に法律を適用してくれるのでいいという人と裁判官が人間でないことに違和感を覚えるという人がいた。
*哲学カフェを法律で禁止されたら、あなたはどうしますか?
・表現の自由、集会の自由を求めて、また哲学カフェそのものが好きだからゲリラ的にも哲学カフェを行う。
・哲学カフェ禁止の法律による逮捕者第1号になりたい。裁判所で、哲学とは何か、哲学カフェとは何かを大いに議論したい。警察・検察側は本当にこのことを分かって逮捕したのかを問いたい。
【当会について】
2014年4月にプレ版ということで2回実施し、5月から正式にスタートしているので約4年経過している。主催者・進行役のくらちさんが現在、愛知県刈谷市在住なので、東京での開催は2~3か月に1回くらいのペースである。(過去に刈谷市での実施もあった。)
哲学カフェ「さろん」と関係があり、「さろんラボ:001」に位置付けられている。ただし、運営は独立的に行われている。
31回の中で、取り上げてきたテーマは多彩である。(主に、くらちさんが決めている。)「「わからない」ことはよいことか?よくないことか?」「「人間」にしかできないことはあるか?」「「沈黙」するのはどんなとき?」「どうして私たちは「約束」するのか?」「「自然」なのはよいことか?」「「無駄なこと」について考える」「「可能性」という言葉を使うとき」「2次元と3次元のあいだについて考える」「「ハッピーエンド」について考える」……
定員が6名程度という少人数で行うことを原則としている。
【感想】
シンプルな体裁の会である。最初の自己紹介も、最後の感想発表もなく、ただただテーマについて自由に対話を行う。進行役のくらちさんも話の流れにあまり介入しない。時に話が盛り上がり、発言が活発に行われ、時々沈黙も訪れる……。
こういう場があることに意義がある。刈谷市から東京に来て、このような場を設定することには負担も大きいとは思うが、できれば続けていってほしい会である。
今回の終了後、参加者8名全員がサイゼリヤに行った。会の雰囲気がよくて、名残惜しかった証左である。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて⑰ エスプリ・新宿哲学カフェ 〉
今まで参加したいと思っていましたが、日程が合わないでいました。今回初めて参加することができました。
【当日の概要】
[名 称] 新宿哲学カフェ
[主 催] ESPR(エスプリプロジェクト)
[日 時] 2018年3月10日(土)14:00-16:00
[会 場] E PRONTO 文化学園店(新宿)
(新宿駅から徒歩10分)
[参加費] 500円+飲食代
[テーマ] 「お金」について、当日、参加者全員でテーマを決定する。
[進行役] レナ + 1名 (2グループに分かれた)
[参加者] 13名(男性7名、女性6名)
【内容(一部)】
〔テーマ決定〕
参加者全員に、お金に関して自分なりに考えたいテーマを一つだけフリップに書いてもらう。その中から重みを付けた多数決(一人の持ち点が1位2点、2位1点)により、2つのテーマを選んだ。
「友情はお金を超えるか?」
「お金に代わる対価はあるのか?」
各自希望する方のテーマを選び、2つのグループに分かれて対話を行った。
〔グループに分かれての対話〕
私は「友情はお金を超えるか?」のテーマのグループに入った。(印象に残った発言のみを列挙する。)
*「友人」と「友情」は違う。友達は友達だ。
*「情」が問題。情は相場が決まっていない。お金に換算できない。
*友情をお金に換算して、何かいいことがあるのか? 特にメリットはない。
*お金があると人間関係は広まるかもしれない。人間関係の「量」はお金に多少比例するかもしれない。ドラえもんに登場する「スネオ」のように。
*ホストクラブ、キャバクラでのお客への関係は友情ではなく、お金によるサービスである。
*親子関係や友人関係を経済用語で表現するのに違和感を覚える。(「投資」「利息」「リスク」など)
*生活するのに必要なお金が保障されれば(ベーシックインカム)、友情や人間関係の質は変わるかもしれない。
【当会について】
2016年4月にスタートしているから、満2年になる。最近は第2土曜日午後に哲学カフェ、第4土曜日午後に読書会という形になっている。主に新宿で実施している。
今まで取り上げてきたテーマは、「出会う」「コミュニケーション」「居場所」「成長」「せつなさ」「男と女」「大人と子供」「恋」「男らしさ」などである。読書会で読んできた本は『予告された殺人の記録』『異邦人』『悪童日記』『憂国』『ノルウェイの森』『カンディード』などである。
会の終了後は、延長戦、再延長戦(交流会)と称して、ボードゲームや飲み会などを開いている。
最近は10名以上の参加があり盛況である。若い人が多いという印象を持った。
過去に、芝浦屠場見学といったことも行っている。今後の企画として、1か月か2か月に一度、1日の日に開催予定の「自分と社会をみつめる1日(ツイタチ)」(都内開催)がある。
【感想】
若い人の参加が多いということもあるのだろう。対話のテンポがよく、スピード感があり、笑いもたくさんあって、とても楽しい。ツッコミとボケが多彩に出てくるので、話がバラエティに富んでいる。
今回、2つのグループに分かれて、1グループ6~7人という人数なので、話しやすかった。あまり緊張せずにしゃべれるし、すべての人がそれなりに発言することができていた。(時間やチャンスがなくて、ほとんど話せなかったという人がいなかった。)
このような楽しい会だからこそ、ノリが悪く、立ち止まってじっくり考えたい人(沈黙がちな人)にとってはどうなんだろう、ということが少々気になった。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて⑯ デモクラシー・カフェ@東村山 〉
今回初めて参加することができました。今回は高田馬場駅から西武新宿線1本、約30分で到着できるという私にとっては意外に近い会場でした。
【当日の概要】
[名 称] デモクラシーCafe ― 対話カフェ ― 「ことば」と「意識」
[主 催] デモクラシー・カフェ@東村山
[日 時] 2018年2月25日(日)13:30-16:30
[会 場] サンパルネ会議室・東村山市市民ステーション
(西武新宿線東村山駅西口直結1分・ワンズプラザ内2階)
[参加費] 300円(菓子・ドリンク付)
[テーマ] 「ことば」と「意識」
[進行役] デモクラシー・カフェ@東村山 スタッフ
[参加者] 15名(男性9名、女性6名)
【内容(一部)】(印象に残ったもののみです)
〔意識して使わなくなった言葉・意識して使うようにしている言葉〕
(付箋に書いてもらう)
〇かたわ、めくら、つんぼ、びっこ、かたておち…
〇きちがい、ばか…
〇ホームレス、労務者風、ブルーカラー…
〇ミス(MISS)、独身…
〇ご主人、だんなさん、奥さん…
〇外人、ハーフ…
〇BG、スチュワーデス、保母、看護婦…
………
〔グループに分かれての対話〕
1グループ5人くらいに分かれて、テーマについて対話をした。「意識して使わなくなった言葉・意識して使うようにしている言葉」があるのはなぜか?
「7つの質問カード」を対話を進めていく参考にということでテーブルに置く。(それは本当ですか? なぜですか? どうしてそう考えるのですか? 何か具体例はありますか? その意見通りだとどういう結果になりますか? ~ってどういう意味ですか? それはいつも当てはまりますか?)
テーブルには模造紙が置かれてあり、参加者はそこに自由に書くことができる。
(私が入ったグループで印象に残った発言)
*人間は元々差別する意識を持っている。(自己保存欲求からしてやむを得ない?)
*その差別意識をコントロールし、差別が生じないようにするのも人間である。
*差別を増長するのも言葉であるが、差別を無くしていく手段として言葉もある。
*差別をされている側が声を出していかなくてはならないのか?
*差別だと認識すれば、その言葉は使わない。
*「無意識」の差別というものがある。
*「弱者」というレッテルや単一のモノサシだけで見ていくのはいかがなものか。
*障がいのある人に優しい社会は私たちみんなに優しい社会である。
〔まとめ、ふりかえり〕
3つのグループそれぞれから、グループ内で行われた対話の概要を発表してもらった。次に、他のグループの模造紙に書かれたものをお互いに見て歩いた。
これらを踏まえて、数人に感想を述べてもらった。また、今回は明確なファシリテーターを置かないで対話をしたという形であったが、それについての感想等を述べる機会を設けた。
【当会について】
2016年8月にスタートし、原則として毎月第三日曜日に開催してきているから、現在までに20回近く実施してきたことになる。
デモクラシー・カフェという名称からしても、憲法、政治、沖縄などのテーマを取り上げてきた。最近は、「わかり合うってなんだろう?」「意見の違う人と話し合うことはできない?」など、哲学カフェっぽいテーマも取り上げている。今回のテーマもそうであり、原理的・哲学的な問題も取り上げている。
また、実際の「仕事」について考えたり、「3.11」にも関心を寄せている。(次回は昨年に引き続き3.11を取り上げる2回目である。)見学会(大久保コリアンタウン、国立ハンセン病資料館)や映画(「不思議なクニの憲法」)を使っての対話の会も催している。このようにテーマや手法を限定的に捉えずに、幅広く実施しているのが特色である。
毎回老若男女15名くらいの参加があり盛況である。スタッフは今回、男性1名、女性2名というように、複数人で企画し、運営している。
【感想】
企画、準備が丹念に行われていて、バラエティに富んでいるので、参加していて楽しい。これは今回だけのことではなくて、毎回工夫されていて、実験的試みも頻繁に行われている。だから、会に活気が感じられる。
今回、明確なファシリテーターを置かないという方法を取った。過去の実績を見ても、あまりファシリテーター(進行役)を前面に打ち出していない印象を受ける。(ファシリテーターの名前を事前に公表していない。)これは主催者側・進行役側が自分たちの色を参加者たちに押しつけたくない、参加者の自由をできるだけ尊重したいという意図の現れかもしれない。
スタッフ側がなるべく裏方に回るようにしているにしても、とにかく場はきちんと設定されており、会はスムーズ、かつ活気溢れて展開している。参加者の満足度は高いはずであり、これは素晴らしいことである。周到な準備とそれを支える情熱があるからだろう。
このように企画がバラエティに富んでおり、魅力があるから、今後のプログラムに期待したくなる。どのような試みがなされていくか楽しみである。
一方で、多彩な活動の展開の中で、この会はどのように性格付けがされていくのか(アイデンティティはどうなるのか)といったことにも興味がある。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて⑮ わわわの話~哲学カフェ~ 〉
前々から参加したいと思っていましたが、今回初めて参加することができました。
【当日の概要】
[名 称] わわわの話~哲学カフェ~ 「満足」
[主 催] cafe藤香想
[日 時] 2018年2月8日(木)19:00-21:00
[会 場] cafe藤香想(要町駅(池袋駅から1駅))
[参加費] 300円+ワンオーダー
[テーマ] 満足
[進行役] 本橋香里
[参加者] 9名(男性5名、女性4名)
【対話の内容(一部)】
(印象に残ったもののみです)
〔満足とは〕(フリップに書いてもらう)
〇美味しいラーメンを食べていること
〇一段落ついたときにお酒がおいしいこと
〇幸せ
〇余裕
〇満ち足りる一歩手前…?
〇なさそう
〇満足と不満足を行ったり来たり
〔フリーな対話〕
*満足は時制(過去・現在・未来)に関連する。
*満足は過去のものを素材にして、現在において「これでよし」とする感情である。
*未来に対しては、満足というより、「期待」とか「向上」とかいう言葉の方が当てはまる。
*満足は幸せになるための一種の妥協の結果である。
*満足については、社会的、客観的に一定の物差しのようなものが存在するのではないか。
*それに対して、主観的に満足感を述べることはどういう意味合いがあるのか。それは負け惜しみや間違った感情ということもありうる?
……
〔満足するために〕(フリップに書いてもらう)
〇見聞き、行動し、発言し、考える…
〇ワクワクすること
〇小さなことに感謝、感動
〇家族を大切にする
〇自己満足
〇あきらめ
〇何もしない
【当会について】
2016年11月26日が初回である。その時のテーマは「男女の差がないものってなんだろう?」だった。
その後に取り上げてきたテーマとしては、「ライフワーク」「癖」「深いってどのくらいの深さなの」「反論 言う時・言われる時」「向き・不向き」「忘れる・忘れた」などがある。当日にテーマを決めた場合もある。また、紙芝居を題材にした場合もある。
最近は、月2回のペース、平日篇・第2木曜日19時~21時(2時間)と週末篇・第4土曜日17時~20時(3時間)で実施されている。
数えてみると、今回で28回目に当たりそうである。当初参加人数は少数だったようだが、最近は毎回10人前後の参加があり、活況を呈している。
進行役は今まで齊藤充さん(対話学舎えんたらいふ)が行ってきたが、今回初めてcafe藤香想店主の本橋香里さんが行った。
【感想】
cafe藤香想という場がとてもいい。
要町の駅から、道幅の狭い、ちょっとレトロな商店街「えびす通り」を歩く。途中で太鼓を打つ音が聞こえてくる。これだけで異郷に入っていく感覚がある。
古民家を改装したcafe藤香想は落ち着ける雰囲気である。店主の本橋さんのお気持ちが込められているカフェである。
このロケーションが「わわわの話」という哲学カフェを支えている。この場で、月2回定期的に開催されているというだけで、心和むし、ワクワクもする。今後継続的に哲学カフェの場が確保されることによって、いろいろな可能性が広がっていくと思われる。
店主の本橋さんが初めてファシリテーターを務めるという機会に遭遇した。本橋さんには、戸惑っている感じも見られたが、まずはお疲れさまでした。会としては対話が活発に行われ、面白いものになった。齊藤さんのナイスフォローも随所にあった。
今後、いつかは齊藤さん抜きで、本橋さん単独で進行役をやられることを期待する。その時は参加者も助けてくれるだろうし、自分なりのやり方でやればいいと思う。それの方が上手い下手とかいうのではなくて、ファシリテーターの持ち味が出てきていいと思う。
(cafe藤香想で食した、ローストビーフ、お汁粉、コーヒー、紅茶は美味しかったし、心温まるものであった。ごちそうさまでした。)
〈 東京の哲学カフェを訪ねて⑭ 哲学カフェ@神保町 〉
久しぶりに参加してみました。過去に5、6回は参加したことがあります。
【当日の概要】
[名 称] 哲学カフェ@神保町 vol.19
[主 催] 哲学カフェ@神保町 サロンド冨山房Folio
[日 時] 2018年1月28日(日)13:00-15:30
[会 場] サロンド冨山房Folio(神保町)
[参加費] 大人1,000円 / 学生500円(ドリンク付き)
[テーマ] 信仰と宗教について考える
人を幸せにするのは、宗教、哲学、科学、それともお金?
[ゲストスピーカー] 竹村牧男(東洋大学学長・仏教学者)
[参加者] 50名くらい
【ゲストスピーカーのお話】
(主にレジメの小見出しを掲載)
1 宗教の分類
2 宗教の定義
「宗教とは、人間生活の究極的な意味を明らかにし、人間の問題の究極的な解決にかかわると人々によって信じられている営みを中心とした文化現象である。ただし、宗教には、その営みとの関連において、神観念や神聖性を伴う場合が多い。」(岸本英夫)
3 道徳と宗教
4 信とは何か
5 信と覚 己事究明の諸相
6 宗教と自己の了解 個人宗教
〈課題〉
上記いずれをテーマに話して下さってけっこうですが、私としては西田幾多郎の言う「自己を超えるものにおいて自己を持つ」ことについてどう考えますか、と問います。
【対話の内容(一部)】
〇対話はグループに分かれて行った。私が入ったグループは4名で、男性3名・女性1名、若者1名・中高年3名の内訳であった。(印象に残ったもののみ記載する。)
*ゲストスピーカー竹村先生の〈課題〉はとても重要な問いだと思う。
*「否定すること」(自分に対しても、他者に対しても)の意義を感じた。
*why,what,howを考えていくことが重要だと思う。
*自分を超えるものを「西行」は感じ取っていたのだろう。
*人を幸せにするのは何か? 宗教4、お金6、である。
*宗教は人を幸せにするか? 宗教は時代遅れではないか。
*知的好奇心を持ち続けることが大切である。
*死後の世界を宗教はどう語っているか?
【当会について】
2014年7月12日からスタートして、大体年度ごとに5回開催しているので、今回で19回目を迎えた。
東洋大学・井上円了哲学塾から生まれてきた経緯もあって、毎回参加者は30~50人くらいと多い。世話役はこの哲学塾の出身者たちである。
最近は、前半はゲストスピーカーのお話、後半はそれに基づいたグループに分かれての対話という形式を取っている。内容はまさにゲストスピーカーによるわけだが、心理、福祉、自己啓発、経営、宗教など幅広くテーマが設定されている。
会場は一貫して、神保町のサロンド冨山房Folioを貸し切って行われている。
【感想】
今回も盛況で、充実した内容であった。
最近の形式である、前半ゲストスピーカーのお話、後半グループ別対話というものであった。この形式は、本や映画についての哲学カフェと同じとも言える。どれも一つの素材、教材、テキストなどをもとにして、哲学対話を行うというものである。
今回の竹村先生のお話は勉強になったし、興味深かった。後半のグループ対話も私のところのグループは面白かった。
しかし、毎回そううまくいくとは限らないだろう。
前半のゲストスピーカーのお話の良し悪しは後半に大きく影響するだろうから、世話役の人たちはその人選やテーマ設定に関しては神経を使っていると思う。
後半のグループ対話は、一般の哲学カフェと同じであり、時にはつまらない場合もあるだろう。それは参加メンバーにもよるものであり、例えば、独占的に話す人が多くの時間を使ってしまった場合などは不満が残ることもある。
それで、今回世話役からも指示があったが、①自己紹介(一人一言ずつ)、②前半のお話の感想(一人一言ずつ)、③話したいテーマ出し(一人ひとつだけ)、④テーマ決定、⑤残りの時間フリートーク、といった全ての人がある程度話せる手順を示すことはいいことだと思われる。
さらに言えば、時間があまりない時は、やはり1グループ6人以内がいいと思われる。私の入ったグループは4人だけだったので、お互いにそれなりに話せて満足度が高かった。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて⑬ 哲学カフェ・トークラウンジ 〉
初めて参加してみました。
【当日の概要】
[名 称] 哲学カフェ・トークラウンジ vol.21 「恥」
[主 催] 哲学カフェ・トークラウンジ
[日 時] 2018年1月27日(土)19:00-21:00
[会 場] かふぇオハナ(四谷駅)
[参加費] 500円(お菓子&コーヒー付き)
[テーマ] 恥
[進行役] 鬼塚
[参加者] 10名(男性6名、女性4名)
【対話の内容(一部)】
(印象に残ったもののみです)
*「恥ずかしい」と「恥」は異なる。恥ずかしいは各場面での感情である。恥は行動規範となっているものである。
*「恥ずかしい」「恥」をどのように感じるかということと、それによってどのように行動するかは分けて考えていきたい。
*集団、組織、世間、社会等との関係による。アウェイな場、少数派の場などの際に感じやすい。
*大切にしている個人・集団等からの評価を気にすることから恥ずかしさを感じる。定年後はあまり恥ずかしさを感じなくなった。
*間違えたとき、失敗したときなど、おバカに見られていると思ったとき恥ずかしい。
*熱くなり過ぎていたとき、恨み・妬み・怒りなどの感情が表出されたときなど、自分の感情をコントロールできず現れてしまったときに恥ずかしい。
*中二病、黒歴史を恥ずかしいと感じるのはなぜか?
*「恐い」と「恥ずかしい」は近いものがある。ただし、恐いは行動する前の緊張や不安から来ることが多く、恥ずかしいは行動した後に生ずるものではないか。
*恥ずかしさへの対応として、自分を向上させる、開き直る、逃げるなどがある。
*『菊と刀』における「恥」と「罪」について。
【当会について】
2014年10月4日テーマ「働き方」から出発しているから、3年を経過したことになる。今回で21回開催した。現在は原則として毎月第四土曜日の夜間に開催しているようである。
開催趣旨としては、「誰もが、性別、年齢、所属などに関係なく 気楽に話せる空間を作りたくて 哲学カフェトークラウンジを始めてみました! 一つのテーマをみんなで掘り下げて深めて行きましょう!」と掲げている。
今まで取り上げてきたテーマは、「政治との関わり方」「私が総理大臣だったら」「空気を読まなきゃダメですか?」「普通って何?」「インターネットは私たちを幸せにするのか?」「嘘」「個性」「信じるということ」「我慢と傲慢」「コミュニケーション」など多彩である。
鬼塚さん、小杉さんのお二人で運営しているようである。
【感想】
安定期に入ってきた、一つの典型的な哲学カフェであり、いい雰囲気という印象を受けた。素朴な感触がある哲学対話の場を提供しており、初めての人でも入りやすいと思う。
21回という回数を重ねて、ファシリテーターも慣れてきており、進行、環境作りへの配慮もいろいろなされている。
参加者は定員10人という中で、どちらかというと若い人が多いが、それなりに老若男女がそろっている。常連らしき人もいれば、初めての人もいるという、今回はバランスが取れている感じがした。理屈から話していくタイプもいれば、経験や感情から話していくタイプもいて、対話の幅が広がっていく。(毎回、こううまくいくとは限らないとは思うが…)
会場の「かふぇオハナ」が四谷駅から歩いて行けて、貸し切りというのも環境条件としては素晴らしい。これで定期開催が定着すれば、この会は安定期に入ったといって言いだろう。
哲学対話の場を維持・継続していくというのは、学校・大学などとは違って、一般市民が開催の場合は苦労も多いものである。ただ、場を提供し続ける意義はとても大きい。これからにも期待したい会である。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて⑫ 夜の対話カフェ 〉
夜の対話カフェは、第1回目に参加して以来、約1年半ぶりです。第20回目になるそうです。
【当日の概要】
[名 称] 夜の対話カフェ 20 -お祝い-
[主 催] 夜の対話カフェ
[日 時] 2017年12月20日(水)18:30-21:00
[会 場] きらきらプラザ新橋(新橋駅、御成門駅)
[参加費] 300円
[テーマ] お祝い(なぜ、お祝いするの)
[進行役] 古川京
[参加者] 8名(男性7名、女性1名)
【問い出し】
(参加者から問いを出してもらった)
○祝われたくない人の心理/祝わせたい人の心理
○お祝いが楽しくない時があるのはなぜか?
○祝いの先に幸せはあるか?
○誰の為の祝いか?
○誰から祝われたいか?
○祝うことの意味は?
【対話の内容(一部)】
(印象に残ったもののみです)
*お祝いはお祭りと関係があるのではないか。
*祈りとも関係があるのではないか。
*実現したことに対する感謝の気持ちの表れである。
*祝われる人に報酬や承認を与える場である。
*「おめでとう」は2種類あり、英語では区別される。誕生日、新年などに使われるhappyと、卒業、優勝などに使われるcongratulationsである。前者は与えられたことに対する感謝の気持ちが、後者は当人のがんばりや功績を称える気持ちが強い。
*おめでたいとは、めったにないよいことが実現したことに対する言葉である。「ありがとう」に近いものがある。
*お祝いは人生の節目で行われる。
*参加者が一緒に、一体的に喜びを分かち合う場である。このことが期待されている。
*人間関係(絆)を確認し、維持する場になっている。
*お祝いが儀式化し、義務のようになっている場合がある。選択できない不自由さがあり、「踏み絵」のようになっている場合がある。
*お祝いは動機づけの意味合いがある。その動機づけが、「よりがんばれ!」というプレッシャーになり、暴力性を帯びることがある。
【当会について】
2016年5月25日(水)に第1回目、テーマ「笑い」でスタートしてから、原則として毎月最終水曜日の夜間に、一度も休まずに実施されている。会場は、「きらきらプラザ新橋」一階の区民協働スペース(ご近所ラボ新橋)というところである。このように平日の夜間に、サラリーマンの街で行っているというのがこの会の特徴でもある。
今まで取り上げてきたテーマは、「謝ること」「これからの戦争とは」「幽霊」「不死」「死」「あなたは誰」「2について」「あなたのキャラは」など多彩である。当日に参加者でテーマを決めたことやお花見と組み合わせた企画などもあった。
【感想】
テーマ「お祝い」について、いろいろな角度から対話し、テーマについて深く考えていくことができて、とても面白かった。
この会自体が、どちらかというとテーマ追究型であるという印象を受けた。それを助けているのがファシリテーター古川さんのホワイトボードを使ったグラフィック(板書)である。古川さんは要点をうまく押さえて、分かりやすい板書で、対話の進んでいる状況や方向が理解しやすかった。
古川さんのファシリテーションも20回を経て、こなれてきた感じで、安心して対話ができる。「よく20回も休まずに続けてこられましたね?」と尋ねたら、「元サラリーマンだから」という答えが返ってきた。これには思わず納得してしまったが、とにかく20回続けることにはご苦労もあったろうし、続けてきた意義は大いにあると感じた。
開催時間・場所からか、それとも会の内容の傾向からか、参加者に中高年の男性が多いように感じた。(今回だけのことかもしれない?) 中高年男性は薀蓄(うんちく)を語りたがる、自説にこだわるなどの傾向もあるが、長い人生経験の中からの言葉には教えられることも多い。
今後、女性の参加者を増やしていくことが課題か?(笑) このようなことにはこだわらないというのであれば、会の方針としてはそれでOKであり、そうすると、これは課題でもなんでもないことになる。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて⑪ 小金井哲学カフェ 〉
小金井哲学カフェに2年ぶりくらいに参加してみました。会場が変わってからは初めての参加です。
小金井哲学カフェは発足してから6年半くらいたっており、東京においては歴史のある哲学カフェと言えます。
【当日の概要】
[名 称] 小金井哲学カフェ
[主 催] 小金井哲学カフェ
[日 時] 2017年12月16日(土)16:00-18:00
[会 場] シャトー2Fカフェ(武蔵小金井駅)
[参加費] カフェでの飲食代のみ
[テーマ] うどんについて
[進行役] 花野
[参加者] 6名(男性6名)
【主催者のテーマ趣旨】
うどん。漢字で饂飩。日常的に見聞きする麺料理です。
なぜ、哲学カフェで「うどん」をテーマにするのか。2017年も終わりつつあり、年越し蕎麦を楽しみにしている人もいるかも知れません。麺がテーマなら、蕎麦がタイムリーかも知れませんが、進行役はちょっとひねくれ者かも知れません。
「うどん」について思索すること、哲学的に対話することはできるでしょうか。そもそも「うどん」は哲学カフェのテーマ足り得るのでしょうか。
今回は、うどんについて話し合いたいと思います。
【当日のプログラム(一部)】
(印象に残ったもののみです)
*失恋したときには、うどんが似合う。そばではシャープすぎるし、冷たい感じである。
*うどんは、あの太さ、あの白さが基本。(もちろん、他の種類もあるが)
*うどん、そば、ラーメン、パスタ…麺類の中で、うどんが最も温かみがある。
*お鍋の最後には、うどんを入れる。みんなが安心して、おいしく食べられる。そば、ラーメン、パスタは入れない。
*うどんには、ラーメン、パスタのようなバラエティ、異国性、力強さなどがない。どちらかというと日本の伝統に根差した、おっとりとした柔らかさがある。
*ダル(dull)な感じ、それが魅力でもある。
*うどんは「愚鈍(ぐどん)」だ!(これはプラスの意味を込めている。)
*丸亀製麺VSはなまるVS山田
*うどんの麺そのものの味を楽しむ。(ラーメンも、つけ麺が発展してきた。)
*日本の三大うどんは何だ? 讃岐うどん、稲庭うどん、五島うどん、水沢うどん、氷見うどん、きしめん……?? 定説はないようだ。
*秋田の稲庭うどんは、贈答用の高級なものらしい。秋田の人はふだんあまり食べない?
*うどんは主に中力粉で作られる。強力粉でも薄力粉でもない。うどんは能動態でも受動態でもない、「中動態」だ!
【当会について】
2011年6月4日発足であるから、約6年半が経過している。原則として月2回開催、砂土原さんと花野さんが交替してファシリテーター役を引き受けている。
途中中断したり、月1回の時もあるが、今までで100回は優に超え、130回くらいと思われる。
地味なイメージがあるが、歴史のある哲学カフェであり、東京を代表する素晴らしい哲学カフェである。
【感想】
面白かった。
「うどん」というテーマで、ファシリテーターも参加者もどうなるかという思いがあったが、十分に哲学対話になっていた。
中高年の男性6人だけで、時には薀蓄があり、時には哲学的な考察がありで、盛り上がった2時間であった。ファシリテーター役の花野さんも、今回はサブ役の砂土原さんもいい味を出しており、コンビネーションも年季が入っている。
一つのテーマがあって、そのテーマについて参加者のみんながいろいろ考える。それを話し、みんなでよく聞く。応答する。一人だけが長い話をするのではなく、みんなが自由に話をする。聞いていたい時は聞いている。そんな哲学対話の基本形のような会であった。これは意外にも僥倖的なものであり、その場に居合わせた場合は楽しい気持ちになる。
「うどん」の話をたっぷりしたので、精神的に満腹感があった。ということで、帰りには、私はうどんを食べる気は起こらず、今回の途中で少し話題に出た「カルボナーラ」を食べて帰宅した。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて⑩ こまば哲学カフェ/東女哲学サロン・スピラル 〉
東大・駒場祭に合わせての「こまば哲学カフェ」です。2017年11月24日(金)から26日(日)までの3日間に14ものプログラムが実施されました。私はその内4つのプログラムに参加しましたが、どれも楽しいものでした。
https://www.facebook.com/komabaphilosophycafe/
今回はその中の「レンアイを哲学する」(東女哲学サロン・スピラル)を紹介します。
【当日の概要】
[名 称] こまば哲学カフェ 「レンアイを哲学する」
[主 催] P4E 東女哲学サロン・スピラル
[日 時] 2017年11月26日(土)10:00-11:30
[会 場] 東大駒場キャンパス 5号館1階518教室
[参加費] 無料
[テーマ] レンアイを哲学する
[進行役] 東女哲学サロン・スピラルのメンバー
[参加者] 15名くらい(入退室自由)
【当日のプログラム(一部)】
〈ファシリテーターから出された視点〉
☆恋と愛/love とlike
☆友情、趣味、憧れ
☆結婚の前後
☆2次元、アイドル、SNS
☆恋愛の多様性
〈フリーな対話〉(印象に残ったもののみです)
*恋は純粋(ピュア)である。愛のほうがドロドロした感じがある。
*愛は証拠(形)が必要な場合がある。責任、約束が求められる場合がある。アート(技術)が必要である。
*「かわいい」は「好き」と関連があり、「好き」は「恋」に繋がる。そして、「恋」は「愛」に変容することがある。
*愛の反対は無関心である。別れた時(終わった時)は相手に無関心になっている。
*恋愛の始まりは簡単だが、終わり方が難しい。死ぬまで引きずるかもしれない。
*SNSが発展した今日、恋愛関係のオープン度(あからさま度)は以前よりも格段に上がった。恋愛の始まりも、途中も、終わりも、見えやすくなった。
*寂しさから逃れたい、穴を埋めたい、孤立を免れたいといったことから恋愛を求めていってもうまくいかない。
【当会について】
駒場祭での「こまば哲学カフェ」は、ここ数年連続して実施され、恒例イベントとして定着した感がある。私も3年連続で部分的に参加している。
大体1コマ1時間半くらいの単位で10~15コマくらい用意されている。多彩な内容であり、どのプログラムも刺激的である。
「東女哲学サロン・スピラル」のように、東大以外の大学や機関・団体による企画も多数取り入れられている。
【感想】
この「レンアイを哲学する」に関して言えば、大いに盛り上がって楽しかった。
「レンアイ」というテーマがよかったのだろう。恋愛に関しては、老若男女、幅広い層で関心が持たれるテーマだということを改めて感じた。(私自身は恋愛は苦手なテーマという意識が強く、私がファシリテーターをした哲学カフェで取り上げたことは一度もない。)
それから、このテーマで、「女子学生」が進行役だったということも、盛り上がったひとつの要因かもしれない。
「こまば哲学カフェ」に関しては、不遜ながらも、私もいつか、このこまば哲学カフェで1コマ担当してみたいという気持ちになった。(駒場祭という学園祭の中では、私のような中高年は異質なのは承知の上で、機会が与えられればチャレンジしてみたい場である。)
〈 東京の哲学カフェを訪ねて⑨ 哲学カフェ@Café Klein Blue 〉
カフェフィロの「哲学カフェ@Café Klein Blue」に半年ぶりくらいに参加しました。上智大学の寺田俊郎さんが10年以上主宰している哲学カフェで、東京における哲学カフェの源流ともいえる老舗の哲学カフェです。
【当日の概要】
[名 称] 哲学カフェ@Café Klein Blue
[主 催] カフェフィロ(東京都)
[日 時] 2017年11月18日(土)15:00-17:00
[会 場] Café Klein Blue(神保町)
[参加費] Café Klein Blueでの飲食代のみ
[テーマ] 〈愛する〉ということ
[進行役] 寺田俊郎(上智大学教授)
[参加者] 12名(男性5名、女性7名)(寺田さんを含む)
【当日の対話(一部)】
(印象に残ったもののみです)
*〈愛する〉の反対は、「憎む」ではなく、「無関心」ではないか。そうすると、愛するとは、関心を持つことということになる。
*さらに、愛するとは対象がよくなる(よい)ことを望むことと言えそうである。
*以上の定義は、物を愛すること、動物を愛すること、人を愛することを包含することができる。
*なぜ特定のものを愛するようになるのだろうか?……特定のものに魅かれる、その人の傾向といったものがある。
*何か自分に欠けているもの、足りないものを愛する傾向はないか?
*欠けているものの根底を表すものとして、「孤独」ということがあるのではないか。
*愛するということには、行動する面と思う面とがある。
*世話をする(ケアする)、大切にする、よく見る……
*祈るしかできない愛もある。
*嫌いな人を愛することができるのか?
*無視されていても愛することができるのか?
*愛が憎に反転することがあるのはなぜなのか?
【当会について】
10年以上、東京で最も古くから行われてきた哲学カフェである。寺田さんが関西(大阪)から東京に哲学カフェの苗を持ってきてくれた。現在の東京の哲学カフェ発展の源流であり、30くらいある東京の大人向け哲学カフェに影響を与え続けている。
最近、参加定員を15名から12名にした。歴史的に見ると、定員を減らしてきた経緯がある。すぐに定員いっぱいになってしまう人気のある哲学カフェゆえに、参加希望の方は早めの申し込みが必要である。
【感想】
私は当会には10回以上参加している。好きで、贔屓(ひいき)にしている会である。暖かい、いい雰囲気であるとともに、毎回、新たな気づきや新たな問いが生まれるからである。
また、上に述べたように、当会の歴史と東京の哲学カフェにおける意義を感じているので、リスペクトもしている。
この会の特色は、何といっても寺田さんの進行ぶりにある。対話の論点(問題)を整理し、絞り込み、深めていく。これが適切で、安定感がある。これは長く深い哲学研究や教育の経験からくるものであり、そう簡単に真似ることができるものではない。
私は、この寺田さんの整理、絞り込み、方向性提示などに、時には違和感を覚えることもあるが、概ねは共感し、好きである。(これが贔屓しているということかもしれない。)
これに対して、これらの寺田さんの参加者への介入の仕方について、介入回数が多いことや介入の内容・方向性が自分には合わないので、好きになれないと言った人がいる。
だからといって、私はもちろん、寺田さんのやり方を変えてほしくない。寺田さんの持ち味がなくなったら、当会の魅力は減じてしまう。
以上の問題は、ファシリテーターと参加者の相性、好みの話なのかもしれない。それだけの話なら、こんなに東京に哲学カフェが増えてきたのだから、参加者は自分の好みに合わせて選択していけばいいという話で終わる。(それ以上の問題を含んでいるかは、今後考えていきたい。)
〈 東京の哲学カフェを訪ねて⑧ 石神井読書会 〉
「対話学舎えんたらいふ」さんの「読書と対話の会」の中の「石神井読書会(マイブックトーク) 読書と対話の会@石神井町」に初めて参加しました。
【当日の概要】
[名 称] 石神井読書会(マイブックトーク) 読書と対話の会@石神井町
[主 催] 対話学舎えんたらいふ「読書と対話の会」
[日 時] 2017年11月12日(日)13:30-16:30
[会 場] 練馬区石神井町の個人宅
[参加費] 200円(会場協力費として)
[テーマ] 「他者」の存在とは?
[進行役] 齊藤充
[参加者] 6名(男性4名、女性2名)
【当日のプログラム(一部)】
(印象に残ったもののみです)
〔参加者各人の本の紹介と印象に残った言葉〕
○『しがらみを捨てると楽になる 続人生の整理術』保坂隆 朝日新書
「「好意」はときとして人間関係をこじらせる」
○『幽霊たち』ポール・オースター 新潮文庫
「自分が生きている「あかし」」
○『14歳からの哲学』池田晶子 トランスビュー
「世界も他人も存在するんだ。すべてが自分として存在するんだ。」
○『〈対話〉のない社会 思いやりと優しさが圧殺するもの』中島義道 PHP新書
『かかわり方のまなび方』西村佳哲 筑摩書房
「自分を知る手だて」「(他者に向ける)まなざし」
○『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』伊丹十三 文春文庫
「自分に出会えない人生は、他者とも出会えない」
○『フロイト=ラカン』新宮一成 講談社選書メチエ
『現代精神医学の概念』ハリー・スタック・サリヴァン みすず書房
『「伝える」ことと「伝わる」こと』中井久夫 ちくま学芸文庫
「他者は自分を写し出す自分であるとも言える」
〔テーマについての対話〕
*「他者からの承認」という問題。人は他者からの承認がないと生きられないのか?
*現代日本では他者を「評価」することがかなり前面に出ているのではないか。
*他人にいろいろ求めたくなるのは自然なことである。しかし、他人から傷つけられることもある。他人に潜む「地雷」を踏むことがある。
*他者とは、本来得体の知れない存在である。
*自他の境界線は曖昧になったり、明確になったりする。
*自分ひとりで考える→他人と一緒に考える→自分ひとりで考える→……
………
【当会について】
「対話学舎 えんたらいふ」は、「ねりテツ」とか、「藤香想「わわわの話」」など、多彩な活動を展開している。
HP https://msentalife.wixsite.com/entalife
その中での、「読書と対話の会」は、特定の本を指定して読む形式と、特定の本ではなく特定のテーマを設定してそのテーマに沿った本を各自が持ち寄る形式とがある。今回の「石神井読書会」は後者の形式である。
石神井読書会が過去に取り上げたテーマは、「反抗」「自己顕示欲」「希望と挫折」「完璧」だそうで、今回は5回目に当たるという。
【感想】
とにかく、少人数で、個人宅で行われたということで、アットホームな居心地のよい空間であった。
家主の方の暖かい接待もあった。また、進行役のえんたらいふの齊藤充さんの持ち味もあって、ゆったりとしたいい雰囲気を作っていた。
これは、斎藤さんも、私自身も体調が十分でなかったにもかかわらず、終了後、癒された気持ちになって帰宅したことからも証明できることである。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて⑦ 読む哲学カフェ 〉
1年半ぶりくらいに再訪してみました。
【当日の概要】
[名 称] 第43回読む哲学カフェ
[主 催] tocco哲学工房
[日 時] 2017年11月4日(土)17:30-19:30
[会 場] 西荻窪カフェギャラリーK
[参加費] 500円(別に1ドリンクオーダー制)
[テーマ] ダライ・ラマ14世の言葉をたよりに【愛】を考える夜
(『抱くことば』ダライ・ラマ14世、イーストプレス社から)
[ガイド] 小西とっこ
[参加者] 12名(男性7名、女性5名)
【当日のプログラム(一部)】
(印象に残ったもののみです)
〔ガイドによるリーディング〕
(ダライ・ラマ14世のことば)
○わたしたち人間には、愛や思いやりを称えられる能力があります。このささやかな能力こそ、人間のもっとも大切な天分だと私は思うのです。
○愛情とは他者が幸せを掴むように望む気持ちです。
○~唐突ですが、セックスについてどうお考えですか?
参りますね。そんな質問を、独身を通してきた62歳の修道僧にするのですか(爆笑)
性欲は自然の一部です。いいセックスをしたい、それは素晴らしいことです。しかし、すべてには限界があります。何事も極限を超えてしまうといいことが起こりません。性欲もそうなれば何かしらの間違いに辿り着いてしまいます。そういった性欲は行きすぎです。
○相手のためを思って「いけない」と強い言葉で諭し、一時的に人の気持ちを害してしまっても、良い動機からおこっていればその行為は非暴力です。
………
〔自由なディスカッション〕
*「愛」と「慈悲」は異なる。慈悲は仏教の言葉である。仏教は精神性を尊ぶ。
*LikeとLoveを区別して、Loveはもういい、Likeだけでいくと言った人がいる。
*「博愛」というのは、実感がないし、実際可能なことなのか。
*愛にはイマジネーションが大切であり、繋ぎ合わせて形にしていくのがいい。
*愛とは自己中心からの脱却である。
*愛の反対は「無関心」である。
*「知を愛する」ことこそが揺るぎない最高の愛である。
………
【当会について】
毎月開催し、43回目になるのだから、約3年半になる会である。
過去には、ヘーゲル、小林秀雄、アラン、ソクラテス、鈴木大拙、三木清、プラトン、ブッダなど多彩な本を読んできている。ガイドによるリーディングと自由なディスカッションという形式を原則としている。
ただし、前回は哲学堂公園を散策するなど、異なった形式のものも時には行っている。
東京の西荻窪が主要な場であるが、長野にも拠点があり、時には福岡でも行っている。
HP
【感想】
1年半前に参加した時と比較して、雰囲気が活発で、充実した会になったという印象を受けた。43回という回数を経て、こなれたという感じである。
とっこさんの力強さは以前と同じで頼もしいとともに、テキストに寄りながらもテキストから自由になるという塩梅(あんばい)がうまいと思った。とっこさんの個性が光ってきた。
それから常連さんが増えてきて、馴染んでおり、楽しさを盛り上げているし、話しの深まりもある。
これは、大学のゼミではない、そしてテツドクでもない、小説などの文学の読書会でもない、ひとつの個性あるやり方だと思った。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて⑥ カフェフィロ・東京都 〉
体育の日、晴れて暑い中、青山霊園を歩き、その後、お墓をテーマにした哲学対話を体験しました。
【当日の概要】
[名 称] お墓を巡る哲学対話
[主 催] カフェフィロ
[日 時] 2017年10月9日(月・祝)13:30-16:30
[会 場] 青山霊園、東京ウィメンズプラザ
[参加費] 2000円(カフェフィロ会員は1500円)
[テーマ] お墓
[進行役] 梶谷真司(東京大学)、廣井泉(カフェフィロ)
[参加者] 15名(男性6名、女性9名)
【当日のプログラム(一部)】
(印象に残ったもののみです)
〔青山霊園〕
廣井さんの案内により、青山霊園内を歩いた。訪ねた主なお墓は、「中江兆民」「志賀直哉」「斎藤茂吉」「大久保利通」「西周」である。
〔3つのキーワード〕
青山霊園を歩いている間に、各自が浮かんだ3つのキーワードを出し合う。大雑把に分類すると、主なものは以下である。
○墓石に関すること
○静けさ、おちつく、からっぽ……
○家族に関すること
○墓は必要か?誰のためか?……
○時間、場……
○しらない、きまずい……
○蚊
〔問い出し、問いの決定〕
出た問いは以下のようなものである。
・墓は必要か?
・墓は誰のためか?
・無宗教の墓はあるのか?
・掘り返して売るのか?
・墓には何があるのか?
・なぜ都心にあるのか?
・一人で入る墓と家族で入る墓との違いとは?
・20年経ったら他のところに移すのか?
・どんな墓に入りたいか?
・どんな墓を作りたいか?
・どこで墓に入りたいか?
この中から、多数決によって、今日のテーマは「墓は必要か?」に決まった。
〔テーマに対して一言〕
最初に、テーマ「墓は必要か?」に対して、参加者全員が一言ずつ発言した。
全体的に、墓は必要がないという意見が多数を占めた。散骨、鳥葬、風葬などでいいというものである。
一方で、やはり放置されると困る、自分のはなくていいが親のはあった方がいい、生きている人間が判断すればいい、などの発言があった。
〔対話〕(一部のみ)
*死者を冒涜することはできない。
*遺灰をトイレに流すことはできない。
*お墓を作ることは人類の長い歴史の中で考えると、人類が本能的にやっている面もあるのではないか。
*お墓に代わるもの、写真などがあればいい。
*お墓は贅沢品である。
*お墓は永遠に生きたいという気持ちの表れではないか。
*お墓は一般的には家族(肉親)が私財を持って作るものになっている。(社会が作るものではない。)
*死生観がお墓のあり方に影響している。人間を物質的なもののみと見ているか、死後の世界(生)を信じているか、などによる。
*遺骨を家において、家をお墓とするのはどうか。
*遺骨を家に置き続けるのは嫌だし、トイレに流してしまうこともできない。妥協点として、ニュートラルなものとして、お墓があるのではないか。
*お墓によって、歴史が分かる、家族関係が分かることがある。
【当会について】
カフェフィロについては、ホームページを参照してもらうのが一番いい。
カフェフィロ・東京都においては、最近は「テツドク」形式のものと、今回のようなゲストを招いてのイベント的なものが多い。どの会も丁寧な準備のもとに開催され、充実している。
【感想】
屋外を歩いた後の哲学対話という面白いプログラムであり、周到に準備されていたので、参加していて楽しい。
ゲストの梶谷さんがファシリテーター役だが、できるだけ参加者にやってもらおうという姿勢である。今回に関していえば、3つのキーワードの分類・整理にしろ、対話にしろ、参加者に任せているところが大きい。
この参加者中心主義の進行は哲学対話のひとつの理想形だと思う。(それでも、どうしても、ファシリテーターの色香は残る、そこが微妙で面白い。)
今回、対話の時間が短く感じられた。お墓といういろいろ考えられるテーマからして、また当日の対話の展開からして、もう少し時間があったら、さらに深められた気もする。
これは今回のイベントの性格から、やむを得ない時間的制約の結果とも言える。なぜなら、「墓地を歩く」という時間を省略したら、今回のイベントの意味合いは半減するだろうから。
また、哲学対話は、長い時間をかければ必ず深まり、満足感が高まるというものでもない。そのあたりも面白い。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて⑤ クルミドの朝モヤ 〉
日曜日の朝、クルミドの朝モヤに参加して、少しモヤモヤしました。
【当日の概要】
[名 称] クルミドの朝モヤ(第145回)
[日 時] 2017年9月24日(日)9:00-11:00
[会 場] クルミドコーヒー(東京都国分寺市 西国分寺駅)
[参加費] 500円(飲み物付き)
[テーマ] 当日の参加者で決める
[進行役] 深田
[参加者] 18名(男性10名、女性8名)
【当日の対話の一部】
(印象に残った項目のみです)
まずは、参加者から今日対話をしたいテーマを募る。
① 欲望はどこまで認められるか?
② テンションが高いことはいいことか?
③ 人生において2つの道のうち一つを決める時の決め手は何ですか?
④ 器の大きさというのは何だろう?
⑤ 100歳まで生きるとしたらどう生きますか?
⑥ 大人になるとはどういうことか?
⑦ 同じと違う、どっちが大切ですか?
⑧ 全く同じ性質のものが複数存在する場合、それらに違いはありうるか?
⑨ どうすればムキにならないでいられるか?
⑩ 絵文字がないと思いは伝わらないのか?
⑪ 人とつきあう上で、言葉をどう選んでいるか?
⑫ どうしたら自分が発言したい時に発言できるのか?
⑬ ありのままの自分で、どうしたら目標に近づけるか?
⑭ 自分を活かして生きるにはどうしたらいいのか?
⑮ 魅力的な人とはどういう人か?
⑯ 日本人は何を信じてきたのか?今何を信じているのか?
⑰ みんなが変わっているのは分かるが、自分自身が変わっているとはどう気づくのか?
この後の話し合いによって、今日のテーマは⑧の「どうすればムキにならないでいられるか?」に決まった。
*ムキになるのは、自分の個人の保存欲求や、自分の所属する集団の維持欲求などの現れである。
*ムキになることは個人差がある。個人の痛点を突かれると反射的にムキになることがある。
*あまりムキにならないで、遠目に状況を見ている傾向の人もいる。
*各人の違いを認め、その違いを楽しめるようになるといい。
*どんなに小さくても、どんなに違っていても、その人の意見が全体の中で位置づけられれば、ムキになることはない。
*言葉以外のものでも伝えようと努力し、相手を理解しようとする姿勢が大切である。
*自分を100%出していくのではなく、80点くらいを心がけて出していくと、他人の意見を受け入れやすくなる。
*実際のところは善悪がはっきりしないことがらについて、相手を自分の善悪の価値観に同調させようとするとムキになる。
【当会について】
発足してから7年くらいになる。
日曜の午前9時から11時まで、西国分寺のカフェ「クルミドコーヒー」で、あえて朝からモヤモヤする話をしようという趣旨で開催している。現在3名の進行役(影山、深田、鈴木)がいて、大体月3回くらいのペースで実施している。
現在は、お隣の国分寺駅のところに「胡桃堂」が開店し、こちらは2名の進行役(影山、坂本)が土曜日の朝に月2回くらいのペースで同様な会を催している。
やり方の特色としては、あらかじめ対話のテーマを決めないということである。前半の1時間くらいは参加者から取り上げてほしいテーマ(問いの形)を出してもらう。その中から一つのテーマに絞って、後半1時間くらいはそのテーマについて対話を行う。この方式が確立されているといっていい。
【感想】
私は20回以上参加している、好きな会である。
進行役がいい、参加者がいい、カフェの雰囲気がいい…! これだけそろっているので、和やか、笑いあり、真剣に聞くときは聞く…と楽しい! 参加者は老若男女多彩である。(最近は私も含めて中高年男性が多いのが少々気になるが…)
進行方法が定式化されているので、安心・安定感がある。(それほど難しい形式ではないので、この方法はクルミド方式と称して、真似をしている会もある。)
前半のテーマ(問い)の出し合いを重視している。これは問うことの大切さを認識した上での方法であり、参加者は他人の問いを聞く中で、自分の問いを研ぎ澄ましていくことができる。また、参加者同士の興味・関心のあり所やキャラクターの一端が分かり、お互いの理解が深まる楽しさがある。これはいい感じだ!
後半はテーマが一つに決まっている。この一つのテーマについて対話が展開していく中で、前半に出されたいくつかのテーマが共鳴し合っていることが感じられる。これが面白い。もちろん本日の会でもそのことは感じられた。
〈 東京の哲学カフェを訪ねて④ さろん 〉
さろん7周年記念例会(さろん実験哲学第85回)に参加しました。
【当日の概要】
[名 称] さろん7周年記念例会 さろん哲学第85回
[日 時] 2017年9月16日(土)14:00-18:00
[会 場] カフェ・ミヤマ渋谷公園通り店1号室(東京都渋谷区 渋谷駅)
[主 催] さろん
[参加費] 1300円ワンドリンク付き
[テーマ] 友達とは自分とどういう関係か?
[進行役] 堀越
[参加者] 18名(男性10名、女性8名)
【当日の対話の一部】
(印象に残った項目のみです)
*友達は多い方がいいのか?
*相手からの反応は気になる。(率直にネガティブな反応をしてくれる人こそ友達である。)
*生産性、効率性、合理性等を問わないのが友達である。
*取引きを主たる関係とはしない。貰うより与える関係である。相手を手段・道具とは見ない。
*友情を愛情の一つと見る。対等性を特色とした愛の関係である。
*そこには、共感、すなわち喜びや悲しみを共有するといった感情が伴っている。
*目的・目標を共有していることで関係ができている「仲間」と友達とは異なるものである。
*自然発生的な出会いから、友情が深まっていく過程など、友情も時間的な観点から見ていくのがいいのではないか。
*子どもにとっては、その子が友達であるか、友達でないかの認定が重要である。(友達認定問題)
*一緒に遊びができる関係を持てるのが友達である。
【当会について】
まずは7年も続いていることに対して、お祝いとともに敬意を表したい。
東京において、代表する哲学カフェと言っていい。哲学研究者の主催ではない。集団のスタッフ(現在7名)による、多彩なプログラム(文学の読書会などを含む)が特色である。
人気のある哲学カフェであり、参加者は常に15名前後あり、活気がある。現在も、哲学カフェのあり方や方法を模索する真摯な態度を持っている。
【感想・考察】
7年の歴史の蓄積が効いているのか(?)、今回も全体を通して充実したよい会であった。(私は過去20回以上参加している。)
今回の事前の案内で、「(実験的に)、発言された意見の度にその意見に対して必ず2~3つの質問を行うことで、ゆっくりじっくりと対話を進めます。」と書いてあった。
本番ではこのルールを厳格かつ機械的には適用しなかったし、最後の方はこのルールも取り外した形になった。
これは一つにはこのルールがなくても会が盛り上がり、深まったということがある。今回の参加者の熱意や質が高く、それにファシリテーターが柔軟に応えたということかもしれない。それもあると思うが、そもそも形式的なルールは生身の参加者の思いの前ではあまり力を持たないのではないか。
それはそれとして、今回の実験的ルールは、一人の発言者に対して「応答」(質問、意見等)を大切にしようという趣旨と取れる。応答はファシリテーターが行うことが多いのだが、できるだけ参加者全体でやってもらおうというものである。この参加者同士が活発に応答し合うということは、哲学カフェにおいて重要なことと私は考えている。このことを再認識するよい機会になった。
今回の対話の展開の中で、私にとって大きな気づきを得て感動した場面があった。
それは、ある母親が自分の子どもの友達関係のことを話すことから始まった。実はこの話自体が、それまでの会の話の流れから急に飛んでしまったような唐突さを私は当初感じた。(子どもたち同士の「友達認定問題」の話である。)
その後、会の対話はまた別の内容で展開していった。私はその子どもたちの話がぼんやりと気になったままであった。
そして、会の終わり頃になって、ある人から「友達」と「遊び」は大いに関係があるという発言が出た。その時、私は先の母親の発言と急に結びついて、私なりの考えが一挙に開かれていった。
それで、今回のテーマ「友達とは自分とどういう関係か?」に対する私なりのとりあえずの答えは、「一緒に遊んでくれる対等な関係」というものになった。これは子どもから大人まで、射程が広く言えることである。遊びとは仕事・学業(職場・学校)に対するものであり、義務・役割から解放されたものである。浅い友達関係もあるし、深い友達関係もある。親友とは、広く、長く、一緒に遊んでくれる関係である。すなわち、いつでも、どこでも、どんなことでも、付き合ってくれる関係である。
ここで、述べたいのは、哲学カフェにおける、非連続的・直観的発言の意味合いである。
哲学カフェでは一般的には、前の人の発言に繋がる連続的で論理的な発言が推奨される傾向がある。基本はそれでいいと思うが、時に非連続的・直観的発言が大きな気づきを生む。これを捨てないで掬い上げることができるかどうかは、まさに参加者やファシリテーターのその際の感度としかいいようのないものかもしれないが……。(「さろん」は、このあたりの感度がいい方の会だと思う。)
〈東京の哲学カフェを訪ねて③ Core Talk Cafe 〉
今回で第77回目にもなるCore Talk Caféのてつがくカフェ(テーマは「物語」)に参加しました。
【当日の概要】
[名 称] 第77回てつがくカフェ「物語」
[日 時] 2017年9月2日(土)14:30-17:00
[会 場] 喫茶茶会記 (東京都新宿区、四谷三丁目駅)
[主 催] Core Talk Cafe
[参加費] 1000円ワンドリンク付き
[テーマ] 物語
[進行役] 梅田孝太
[参加者] 16名(男性13名、女性3名)
【当日の対話の一部】
(印象に残った項目のみです)
*盲聾者は物語を理解しにくいし、語りにくい。
*虚構・架空の度合いが高い物語と事実・現実に即した物語がある。
*物語は、知覚、情報、想像等を素材にしながら、それらを繋げていくもの(ストーリー)が必要である。
*読み手・聞き手の方に話されたものや書かれたものを補完する力がないと物語が伝わらない。
*物語が力を持つ。それは共感(感情の共有化)が生む力か?
*いい物語と悪い物語があるのだろうか?面白い物語と面白くない物語があるだけではないか?
*物語の対極に「説明」(説明書の文書・マニュアルのようなもの)があるのではないか?
*物語に対するものとしては「論理」があるのではないか?
【当会について】
今回で77回目、毎月1回(原則として第一土曜日に)欠かさず開催しているから、スタートしてから6年半くらいになることになる。東日本大震災発生の頃に始まった。(これは他のカフェである「さろん」や「クルミドの朝もや」と同様である。)
上智大学系出身の若手研究者・実践家5名が運営者になっている。毎回15名前後の参加者がおり、しばしば参加者が多くて2つのグループに分かれることがある。
運営、ファシリテーションは手慣れたものであり、数名の常連の参加者もいて、安定感がある。そして、何よりも毎回の対話の内容が楽しくかつ充実している。哲学好きな人や若い人、それに男性が比較的多いことからか(?)、論理的で、深掘りもするが、スピード感(サクサク感)がある。
東京の哲学カフェを代表する会であり、私としても他の人に推薦できる哲学カフェである。
【感想】
私はCore Talk Cafeに15回くらいは参加しており、準・準常連(リピーター)のような感じである。それだけこの会は好きだということである。
今回は4か月ぶりに参加して、この会の雰囲気を味わった。対話のテンポについていけなくなることも時々あったが、それなりの刺激やヒントがあって、その点は面白かった。
ただし、今回は、私自身があまり興味・関心がない分野を深掘りしていく対話が長い時間展開していった際は退屈を覚えた。このようなことは当然、私自身(参加者自身)の方の問題が大きいわけだが、Core Talk Cafeのような性質の会の場合のひとつの傾向ともいえる。
すなわち、ある分野のことを論理的に深掘りしたい人がいて、それを論理的に長時間追究することが可能な人たちが数人存在する場合は、その分野に興味・関心が薄い人たちは置いてけぼりにされるということである。
これは論理的に深掘りできる参加者(哲学好きな人?)が多い会の宿命とも言えるもので、いい面と悪い面がある。私は対話の内容が自分のツボに入った時はとても面白いので、嫌いではないが……。
〈東京の哲学カフェを訪ねて② 現代哲学カフェ〉
今回スタートした第1回目の「現代哲学カフェ」に参加しました。
【当日の概要】
[名 称] 現代哲学カフェ
[日 時] 2017年8月16日(土)15:00-17:00
[会 場] カフェ わ・おん (東京都小金井市、武蔵小金井駅)
[主 催] 現代哲学カフェ
[参加費] 200円+各自の飲み物代
[テーマ] なぜ人を殺してはいけないのか?
[進行役] ファシリテーターは置かないと言っているが…
(カンバラ、トミオカ)
[参加者] 13名(男性10名、女性3名)
【当日の対話の一部】
「なぜ人を殺してはいけないのか?」というテーマだと、人を殺すことが悪いことという前提を置いているようである。人を殺すことは悪いことなのか、いいことなのか。そもそも人を殺すとはどういうことか。
このテーマを考えていく上での、補助線として以下のことを言いたい。人は次のような場合、平気で人を殺す。①相手から反撃されない場合 かつ、②社会的に制裁(罰)がない場合。
人を殺すことについて、宗教的、道徳的、法律的等々で色々言えると思うが、私(自分)にとって、どういうことなのかを参加者全員から聞きたい。(ここで、一人ひとり順番に発言していく。)(例:私は人を殺したくない、取り返しのつかないことが起きるから、それよりは何かを生み出す方に力を注ぎたい。)
人を殺すとは、相手の自由を奪うことではないか、また、相手を傷つけることに意味があるのではないか。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いは、子どもから発せられそうな問いであるが、その場合、親や大人はどのように答えればいいのか。
人を殺すことに、リアリティがないということもある。想像力を働かすことは大切である。子どもと一緒に考えようという大人の姿勢はほしい。……
【当会について】
「クルミドの朝もや」で出会った人たちによって生まれた哲学カフェだが、クルミドの朝もやからは独立した形になっている。
平日(第3水曜日)の午後(昼間)に開催というのは珍しい。今回は非公開で参加者を募集したが、今後は公開も考えているそうである。
ファシリテーターは必要がないとうたっているところが特徴である。(もちろん、最低限の場の設定の役を主催者側の2人が担っている。)
【感想・考察】
とにかく第1回目の会の開催、おめでとうございます!
大いに盛り上がった会になった。2次会も10人参加して楽しい会だった。主催者2人のオジサンのキャラも手伝って、今後たいへん期待できる会である。最近、多摩地域、特に小金井周辺は哲学カフェが増えてきて、熱が上がってきている感がある。
今回の本番の方の感想を書く。まずはファシリテーターを置かないというやり方についてである。収拾がつかなくなるのではないかという心配もあったが、今回はそのようなこともなく進んでいった。これは非公開で開催し、比較的哲学カフェに慣れた人たちが多く参加したことに寄ることも大きい。これが公開制にして、初めての人たちが多く参加するような場合には、それなりにファシリテーションを考えないといけない面もあるだろう。
今回、1時間くらい経過したころに、人を殺すことについて私(自分)はどう捉えているか、という問いが出された。私はこの問いはいい問いだと思う。知識や理屈などを述べ合っていて、空中戦のようになっている時に、一人称的で実存的な問いは、テーマを深めていく上で有効である。
しかし、その問いの答えを参加者全員に順番に言わせるという方法はどうなのだろうか。
みんなの考えや感じを聞くことができる。特に、それまで発言の機会の少なかった人の発言が聞けるのはいい。思わぬ意見が飛び出す可能性もある。
一方で、時間がかかる、自主性を損なう、人それぞれでいいよねの方に流れがちになる(すなわちテーマの深掘りのための対話にはならない)などの懸念はある。
今回は、この方法のいい面が出て、私も多様な意見を聞けてよかったという感想を持ったが、必ずしもうまくいくとは限らない。(このあたりの進行上の感覚が主催者側、ファシリテーターに求められるものか?)
〈東京の哲学カフェを訪ねて① めぐろ哲学カフェ〉
初めて「めぐろ哲学カフェ」に参加しました。
【当日の概要】
[名 称] めぐろ哲学カフェ
[日 時] 2017年8月12日(土)13:30-15:30
[会 場] 目黒区立 八雲住区センター 2階和室
[主 催] めぐろ哲学カフェ
[参加費] 2000円(飲み物付き)
[テーマ] 当日決める
[進行役] しょうご(アーダコーダ)
[参加者] 5名(男性3名、女性2名)
【当日の対話の一部】
最初に、各自から、「考えたい問い・テーマ」を出してもらう。
「差別と世界観について ①そもそも私は差別しないの? ②差別抜きで世界観を構築することは可能なの?」
「「まじめ」って本当にいいこと?」
「だれかに「きたいする」ということをやめることはできるのか?」
「「この世」って何だろう?」
どれか一つにテーマを絞るのではなく、参加者が関心のありそうなところから話は展開していく。まずは、だれかに「きたいする」という話が膨らんでいった。
家族での例が多く出されたが、家族に期待が高まると(例えば、家事・育児への手伝い)、それをやってくれない時の落胆は大きい。大体が人を変えさせることはできるのか。自分が変わるしかないのではないか。期待値をある程度下げていくことで、満足感が高まることがある、などの話が出た。
夫婦間の話がたくさん出たのだが、夫婦間には長年の蓄積によって、暗黙の前提があるのではないか。「~しない」という信頼感もそうである。「暴力を振るわない」「浮気しない」「ギャンブルで借金をしない」「酒乱にならない」などである。この暗黙の信頼感が重要であり、家事、子育て、将来設計などにおいて、相手に対して、「~してほしい」という期待感はその上に生ずるものである。……
この家族の話をある程度した後で、自然に次の話題に移っていった。そして、最初に出されたテーマについては一通りみんなで話をすることができた。……
【当会について】
今回で18回目になるということで、毎月1回開催しているので、発足してから約1年半経ったことになる。
アーダコーダさんからファシリテーター役の人に来てもらっている形になっている。
【感想・考察】
ファシリテーターも含めて、参加者が5人という少人数の会であった。ということもあって、一つのテーマを深めていくといった対話ではなく、各参加者の関心事を順次話していって、お互いの人物や考えていることを知りあうような形になっていった。
このような会の場合は、まさに参加者による。参加者によっては退屈極まる会になることもある。今回は幸いにもメンバーに恵まれ、楽しい対話になるとともに、一定の深まりも感じられた。
少人数の会の場合は、テーマにこだわり過ぎると、多角的な意見が期待できず、対話も浅薄になりやすい。そのような場合は、テーマそのものにこだわらず、参加者の人間性そのものに焦点を当てるというのも一つの手である。(これもやり過ぎると、哲学対話ではなく、グループカウンセリング的になってしまう。)
このあたりのやり方の選択と進行についてはファシリテーターの判断によるところが大きい。(今回の会は、ファシリテーターがうまく進行していたが、参加者のタイプにもよるので、なかなかに難しい。)
テーマについての対話というより、参加者の体験事例や悩みなどが中心になった会は、参加者の満足度が高い場合も多いのだが、これらは一応、「哲学対話」といったものと区別した方がよいのだろうか?